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オイリュトミー・笠井禮示 [オイリュトミー]

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天使館オイリュトミー講座のご案内 [オイリュトミー]

経験者、未経験者問わず、どなたでも参加できます。ジャージ・パンツなど、動きやすい服装をご用意ください。


日時:2019年10月20日(日)


10時〜12時半/言語オイリュトミー

13時〜15時半/音楽オイリュトミー


講師:笠井禮示


場所:天使館 

東京都国分寺市西元町3ー27ー9


参加費:

全日:6,500円

言語オイリュトミーのみ:3,000円

音楽オイリュトミーのみ:4,500円

 

お申込み:

下記のメールアドレスで受付ております:


eliogabalo_911@yahoo.co.jp


よろしくお願いします!


ローマ滞在日記2016年3月

2016年3月11日(金)
14時10分成田発/ローマ行きAZ785便のチェックインを目指して、11時半に成田空港に着く。
最近の飛行機登乗券はインターネット介してプリントアウトした紙切れ一枚、いわゆるEチケットだが、出発直前にアリタリアの予約完了画面を見ると、正確に伝えたパスポート・ナンバーのスペルが一カ所違っていたので、飛行機にチェックイン出来ないのではないかと内心ハラハラどきどきしていた。パスポート・ナンバーの記載がEチケットで一カ所でも違うと、たとえいくら本人だと主張しても、絶対に搭乗させてくれないと聞いていたので、実はかなり焦っていた・・・・。
画面上異なっていたのは、大文字であるべき文字がひとつ小文字になっていたこと。
改めて先方にパスポート・ナンバーを伝えた時のメールを確認したが、間違いはなかった。
予約時にアリタリアのチケット受付係が入力し間違えたのかなと疑心暗鬼になりながら、とにかくアリタリアのチェックイン・カウンターへ進む。
するとチェックインは何の問題もなくすんなりと進み、あっとい間に済んだ。一体何だったのだろう?
一安心したところで、日本を離れる前の最後のラーメンをと、空港三階の「ラーメン花月」へ行くも、長蛇の列であきらめる。
飛行機は定刻通りに出発、ローマまで12時間半の直行便。
機内で最近の「ジェームス・ボンド/007」を観る。悪役のミスター・ホワイトを演じている俳優が知り合いの誰かに似ているが、思い出せない。
現地時間11日の午後7時前に無事ローマに着。荷物を受け取り入国ゲートをくぐると、ハイヤーの運転手が私の名前を書いた紙ボードを持って待っていた。ウンベルトという名前の運転手の運転する車で滞在先の主催者M.ピア宅へ。
ピアと約半年ぶりの再会。昨年天使館の3カ月留学していたアレも合流し、乾杯。ピアは私の好物のステーキを用意してくれていた。これは嬉しかった。



2016年3月12日(土)
朝の9時頃起きる。シャワーを浴び、サーモン・サンドとコーヒーの朝食。ピアが日本茶を買いに行くというので、一緒についていく。ヴァチカン近くのお店。日本茶の他に、海苔、日本酒、ラーメン、カレー、和食器までなんでも揃っている。日本酒は日本のコンビニでは数百円で売ってそうなカップ酒が10ユーロ以上もして、やはり値段が高い。それでも、私がヨーロッパに住んでいた頃の80年代~90年代に比べると、実に沢山の日本の食材が揃っている。
ベネトンでシャツを2枚購入。買い物を済まし、市内をぶらつく。パンテオン、カンポ・デ・フィオーリなどの観光名所をぶらつくが、目立つのは機関銃を持った兵隊さん。ヨーロッパがテロを警戒しているのが肌で感じた。
家に戻り、明日からのワークショップの準備、そして昼寝。まだ時差ボケが抜けない。
夜8時から、ローマの友人たちが集い主催者宅でホーム・パーティー。イタリアの友人たちにお土産を渡し、おおいに喜ばれる。




2016年3月13日(日)
朝7時半に起きる。朝はお決まりのサーモン・サンドとコーヒー。
朝食を済ませ、ピアの運転でワークショップ会場へ。去年の連続ワークショップに参加してくれた面々と、今年から新しく参加してくれた人たち合わせて10人前後。ヨーロッパのダンス・シーンの視察に来ているというカザフスタン人の参加者が3人もいた。ヨーロッパのダンス・シーンの視察なのに日本人によるワークショップに来るなんて不思議に思ったが、東洋の人が西洋人にどのように踊りを伝えるのか興味があって来たようだった。
ワークショップでは、頭部、胸部、肢体系の動きを通して、それを徐々にオイリュトミーの三分節歩行と結びつけるところから始めた。
一日三時間で一週間の連続ワークショップなので、焦らずゆっくり進める。
一週間で「言葉のオイリュトミーの基礎の導入が出来れば」を目指して進める予定。
午後一時にワークショップが終わり、少々休憩を挟んで、自分のデモンストレーションのためのリハーサルを30分程行う。まだ体が時差に慣れていないのか、作品を2回通しただけなのに、大いに疲れる。宿泊地に戻り、ステーキを焼きながらビールを飲む。
夜はエリオガバロ・グループで共演したマグダレーナ・ガーナの舞踏公演を観に行く。
会場は本屋さんの一角を舞台にして行われた。25分程の作品だが、とても集中していて、良かった。
場所をサン・ローレンツォ地区の手作りピザとビールの店に移し、乾杯。




2016年3月14日(月)
ワークショップ2日目。
冒頭に言語形成を行なった。
しばらくすると会場の支配人が現れ、声が大きすぎて他のスタジオからクレームがあったので、声を抑えてくれと言われる。が、他の稽古場でも大声を出しているので、気にせず続けてくれという。一体、何を伝えに来たのだろう?そのまま気にしないで、みっちり一時間、発声練習を行う。
続いて母音の動作言語の導入、合わせてフォルム練習。
あっという間に3時間が過ぎた。
WSの後、30分のデモンストレーションのリハ。
昼食はアレとサマンタと公園でサンドイッチを食べる。彼女たちと別れて、街の写真撮りながら、歩きながら帰る。途中、夕食の肉とビールを買う。
部屋に戻り、WSの準備と仮眠。夜はステーキを焼き、ワインを飲む。




2016年3月15日(火)
WS三日目。
最初の一時間は言語形成。
今日になってようやく5つの母音と二重母音の動きを伝え終える。イタリア語のテキストに合わせてフォルムにのせる。
WS終了後、スーパーまで食材の買い出し。ワイン、パスタ、肉、野菜。
部屋の戻り、早速ステーキを焼く。パスタは夕飯のお楽しみ。
と思ったら、アレとサマンタから夕食のお誘い。ローマ・トラステーベレ地区にある地元レストランに8時の待ち合わせ。
待ち合わせのまで時間があるので、部屋で仮眠。
夕方、地下鉄でレパント駅まで行き、お目当てにしていた調味料を買う。キース・リチャーズが自伝本の中で紹介していたモノ。ローマで初めてみた。
買い物を済ませ、そのまま待ち合わせのオッタヴィアーノ駅まで歩く。ピアの車に乗り込み、トラステーベレ地区を目指す。いわゆる下町。古い町並みがそのまま残っている。
アレ、サマンタ、アルベルトと合流し、「エンツォ」というレストラン(というより食堂)に入る。観光化されていない、地元の人で賑わっているローカルなお店。伝統的なローマ料理が味わえる。肉団子のトマト・ソース煮を食べる。とても美味しいが、量が多くて手こずる。何とか完食した。
ワインを飲みながら、デモンストレーションの打ち合わせ。音響はアルベルトがやってくれることに。大いに盛り上がり、12時過ぎに帰宅。



2016年3月16日(水)
WS4日目。
今日から子音の稽古に入る。ひとつひとつの子音の形を頭部呼吸との関連で説明。
母音と子音の身体の使い方の違いなどを体験してみる。
テキストはシュタイナーの「神々のもうひとつの眼」。
WSの後は、作品リハーサル。
いつもは音響設備があるスタジオで稽古が出来ていたが、今日のスタジオにはない。
音楽を頭の中でイメージしながら通してみたが、無音で通すとまた違った感じで、動いていて面白い。
稽古の後は今回初のケーバップ。日本のものより2周りぐらいデカイ。優に一食分になり、3.5ユーロは助かる。
部屋に戻り、少し仮眠。夜は今回の滞在初のパスタを作る。エビとズッキーニを入れたペペロンチーノ風味。赤ワインと一緒に食す。




2016年3月17日(木)
WS5日目。
昨日に引き続き子音の稽古。ひとつひとつの子音の動きを時間をかけて伝え、呼吸と結び付けてみる。続いてエレメントの要素と色彩の要素を結びつけながら、子音ひとつひとつに質感を加えてみた。今まで行なってきた内容の復習も含め、3時間はあっという間に過ぎた。
WSのあとは作品リハーサル。本番は明日の夕方。一緒に作品を発表するアレと段取りの細かい打ち合わせをし、解散(パフォーマンスは前半がアレのソロ作品、後半が自分のソロ作品の2本立て)。
昼食は近くのスタンドでサンドウィッチとコーヒー。
部屋に戻ると、5月に特別WSを行なうレーバーさんからメール。改めて5月の来日を楽しみにしているというグリーティング・メール。自分も楽しみです。
午後はデモンストレーション用の音源加工、写真の整理、シャワー。
夜、ピアが帰宅すると「姪と日本のマジシャン・キャットの映画を観たところ。知ってる?」と聞かれる。なんのことか考えてみるも、思い当たらない。日本の映画で「手品師の猫」なんて聞いたことがない。話を聞いているとどうやら「ドラえもん」のことを指しているらしい。ドラえもんは未来の道具を使って、いわば「ハイテク」を披露しているだけで手品師ではないのだが、ドラえもん=マジシャン・キャットという呼び方は面白い。
イタリアの子供たちの間では「ドラえもん+キティーちゃん」で「完全な猫」になるらしい。
ドラえもんは口はあるが耳がなく、キティちゃんは耳はあるが口がなく、両方を合わせれば「完全な猫」というわけである。日本のアニメ、MANGAはイタリアでは大変人気がある。
夕飯はフィレ・ステーキにワイン。



2016年3月18日(金)
今日はWSはなし。それでも8時前に起床する。
長文のドイツ語のメールを書いていたら、あっという間に時間が過ぎ、昼食を作る。
エビとズッキーニのパスタ。一昨日の夜も同じものを作ったが、前回はオリーヴ・オイル風味、今回はトマトソースを絡めて。
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パスタを作っていて気付いたのだが、茹であがったパスタをあける「水きりボウル」の穴が容器に対して少ない。
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これはパスタ専用の水きりボウルらしく、穴を少なくすることによってワザと水きりを悪くし、お湯が流れ切っても麺に充分にゆで汁が絡むようにするためだとか。
パスタのゆで汁はソースの一調味料的な役割なので、ゆで汁が充分に絡んだパスタをソースと絡めると、ちょうどよい塩梅になるというわけ。何気ないボウルだが、パスタを常にパーフェクトな状態で食べたいというイタリア人のコダワリが伺える。さすが天才ブオノロッティを生んだ国である。
午後、デモンストレーション会場入り。音響のアルベルトと打ち合わせを行い、テクリハ。
18:30の開演予定だが、18時半ころやっと観客が会場に集まりだす。この辺ののん気さがローマっぽい。小さな会場だが、50人ぐらいは集まったのでは。7時を過ぎたところで最初に主催者マリア・ピアによるレクチャー。テーマは「舞踏からオイリュトミーへ」。天使館とローマとの間の20年近い交流の活動経歴、ローマのオイリュトミー事情等について30分ほど話す。
デモンストレーション前半は、去年天使館に3カ月留学したアレクサンドラ・クリスティアーニ。
会場に枯れ葉やら粘土を敷いて、その上を完全な裸体で、時には転がり、時には身体を鞭のように打ち付ける。その度に枯れ葉のガサガサというような音や、粘土が身体にくっつき、次第に全身がマッディーになっていく、音と視覚的効果を考えた演出。最後はバーレッスンに使うバーを振り回しす。かなりヴァイオレンティックな作品で見応えがあった。
休憩の間に急いでスタッフが会場をクリーンに戻し、いよいよ自分の番。
前半は笠井叡が振り付けたベートーヴェンの「エロイカ交響曲・第4楽章」。12分の完全振付。衣装は黒パンツに上半身は裸体。
完全ソロ・ダンスを発表するのは、今回のこの作品が初めて。
衣装をオイリュトミー・クライト、シュライヤーに着替えて、後半はバルトークのコズト/葬送行進曲。音源は昨年12月の「雪月花公演」でも本番の演奏をしてくれた天使館のピアニスト・shimaokaさんの演奏を、今回ローマ公演用に新たに録ったもの。
振付ダンス作品と音楽オイリュトミー作品のコントラストを打ち出すのが今回のデモンストレーションのテーマ。そういう意味で、一人の同じ人間が、立て続けにソロ・ダンスとソロ・オイリュトミーを行なうのは、テーマに沿っているのではないかと考えていた。
ローマの人にとって自分のオイリュトミーは比較的知られているので、今回いきなりソロ・ダンスを発表したのは驚いたようだった。
しかしとても好意的にデモンストレーションを観てくれたようだった。暖かい拍手が嬉しかった。
打ち上げは会場近くのニューヨーク・スタイルのハンバーガーとビールが飲めるお店。
なんと300gのハンバーグを挟んだ「トラディッショナル」というハンバーガーが目玉メニューで、内心とても食べたいと思っていた。大きいので誰も頼まないだろうと思っていたら、店の人がオーダーを聞きに来ると大半の人が「トラディッショナル!」と言うので、私も心配することなくそれを注文。「亀の子タワシ」が二つ分ぐらいは優にあるハンバーグにレタス、ピクルス、オニオン、トマトにトマトソースとマヨネーズをブレンドしたソースをかけた、これぞ「ハンバーガー」という一品。食べ応え充分、満足いく一品だった。ハンバーガー屋さんだが、ビールはもちろん、ワインが何種類も揃っているところがイタリアらしい。12時近くまで盛り上がる。



2016年3月19日(土)
朝は目玉焼き、パン、コーヒー。急いで朝食を済ましWS会場へ。
最初の一時間は言語形成。毎回行なってきたので、受講生もテキストをしっかり覚えて、発声が安定してきた。ローマではこれまで何度もWSを行なってきたが、これだけ集中的に言語形成を行なったのは、今回が初めて。
言語形成の重要性とその効果に改めて気づかされたのは、昨年から開校したシューレ5期生の授業で言語形成を教えるようになってから。「発声出来る身体」を身につけるということが、どれだけオイリュトミーを行う上で重要か。「いまさら」と思われそうだが、オイリュトミーを行なう上で言語形成の稽古は、オイリュトミーの実技の稽古と同等の頻度で行うといい。もちろん、これはシューレで学んでいる間だけの話ではなく、それ以降も含めて。
しかしシューレの間は授業という形で言語形成を行う機会を設けられるが、それ以降はなかなか言語形成を稽古する機会を設けることは、頻度的に難しくなる。これは気兼ねなく大きな声で発声出来るスペースを定期的に確保することが難しいことと、シューレを卒業するとどうしても稽古が作品創りの方に趣きが置かれがちだから。作品創りの中の、朗唱の稽古が言語形成に代わる発声練習になるのだが、作品のためにではなく、純粋に言語形成の稽古のための発声の機会を行なうことは、とても大切だと感じる。これからはシューレの授業だけではなく、自分の講座でも、言語形成
の稽古を積極的に取り入れていこうと考えている。
ルドルフ・シュタイナーとマリー・シュタイナーが纏めた言語形成のためのテキスト(ドイツ語)は、そのテキストの意味性に趣きを置いたのではなく、純粋に発声に集中出来るためのテキストとなっている。
つまり「伝えるための意味」ではなく、ひとつひとつの母音や子音に集中することに特化したテキストとなっている。例えばシューレでも取り上げている「Protzig Preist~」や「Lalle Lieder Lieblich~」などのテキストは、当然ドイツ語なりの意味はあるもの、その意味にとらわれる必要はない。純粋に発声を味わいながら稽古していけばよいのである。
今回のローマでのWSでは、この点を充分に説明してから、ドイツ語のテキストによる言語形成の
稽古に入った。もともと大きな声で話すことが大好きな国民性である。前にこの日記でも書いたように、あまりにも発声が大きすぎるので、他のスタジオからクレームが入るぐらい、受講生たちは声を出していた。
今日の言語形成の稽古で気付いたことは、最初はただ大きな声で発声していたのに対し、回数を重ねる内にテキストを覚え、発声に安定した質感が出てきたこと。これには正直驚いた。頭の中で発声する言葉を考えながら発声するのと、完全に身体の中に刻印された言葉を発声するのとでは、雲泥の差がある。
オイリュトミーの実技では、母音・子音の動きを伝え終わっていたので、二つの要素を絡めてイタリア語のテキストを動いた。
後半は動きにエレメントの要素を加えてテキストを動いてみた。「Luce, Fuoco, Aria, Acqua, Terra」。
受講生の中に陰陽五行を背景にした指圧の専門家がおり、オイリュトミーで扱う5つエレメントは陰陽五行と同列のものかと質問されたが、オイリュトミーにおける5つのエレメントはこれとは同列ではない。
陰陽五行説で扱うエレメントは「Fuoco(火)、Metallo(金属)、Legno(木)、Terra(土)、Acqua(水)」の5つである。これらの5つが「相生(そうじょう)」、「相剋(そうこく)」、「比和(ひわ)」という関係で結びつくが、オイリュトミーにおける5つエレメントは、どこまでも母音・子音(母声・父声・子声)の結びつきと開示を現すものである。
WSの終了後は、昨日に引き続き2回目のデモンストレーション。今回はサマンタの写真科の学生が撮影をするという。
初日では撮影は据え置きのヴィデオ・カメラ一台のみ。こちらから手動による撮影を禁止した訳ではないが、昨年のローマ公演で手動による撮影のために演者、空間、客席がパフォーマンスに集中出来ないというアクシデントが起き、今回は予めローマ側から初日の撮影規制を設けていたようだった。
2回目のデモンストレーションでも、ローマ側の主催者はパフォーマンスを生で観ることに徹し、
撮影は全て写真科の学生に任せていた。しかしその数には驚いた。10台以上のカメラが入ったのではないか?しかもそれぞれが200mmぐらいのゴツイ望遠レンズを付けたカメラ。
まるでサッカーの試合を撮影するスポーツ・カメラの報道陣のような雰囲気。
さほど広くない空間に少し大げさすぎる撮影体制で、それはそれで演り辛かった。共演したアレクサンドラもその表情に戸惑いを隠せないようだった。撮影OKの2回目のデモンストレーションとはいえ、一般の観客も入れた純粋な2回目の本番なのだから、撮影はそれとなく行うべきである。それが本番のダンスの舞台を撮る撮影家の流儀ではなかろうか?
何とか2回目のパフォーマンスを乗り切り、近くのリストランテで遅めの昼食。豆のスープとグラタン。素朴だが美味。
部屋に戻り、倒れるように寝込む。
夜は主催者のピアと寿司を食べに行く。「10貫ぐらいのお任せコース」というのをオーダーするが、そのひとつひとつの寿司の大きさに驚く。ひとつの握り寿司が、まるでお稲荷さんぐらいの大きさなのである。乗っかているネタも厚切りで、完食するのにえらく苦労する。それでもピアは満足そうにペロリとたいあげる。
「ローマの寿司も、日本と引けをとらないでしょう?」と自身たっぷりに話すが、大きさもそうだが、ワサビは別盛りで自分で付けなくてはいけなく、内心、ネタの刺身がデカすぎるのもどうかと思った。西洋人にとっては、これぐらいの大きさがちょうどいいのかもしれないが、日本にはない寿司であった。
かば焼きのタレをつけた「うなぎ」は、とても気に入った。



2016年3月20日(日)
午前10時半にアレと待ち合わせて、ピアの運転の3人でローマ郊外・ティヴォリのハドリアヌス帝の別荘へ行く。別荘とはいえ、広大な敷地(新宿御苑より遥かに広いのでは?)にギリシア風古代劇場、浴場、図書館、いくつもの池、消防署、宿舎があり、ほとんど小さな町である。じっくり周ると一日はかかるであろう。ハドリアヌスは紀元後76年に生まれ、紀元後138年に亡くなるが、彼の存命中にこの施設は着工・完成をみたという。
ひとりの人間がこれほどのものを完成させるとは、想像を絶する巨大な財力と権力を有していたのだろう。現在は、全ての建物は崩れて遺跡となっているが、ところどころに残る色鮮やかなモザイク模様の床や壁が、当時の豪華さいかほどであったか物語っている。
ローマに住んでいるアレとピアも、ここを訪れるのは初めてではないが、イタリア語のガイドブックをそれぞれ購入して散策を楽しんでいた。
大きな長方形の池の岸に亀が日向ぼっこしているのを自分が見つけ「亀がいるよ」と言うと、ピアは「あれは彫刻よ」と主張。自分とアレは「本物派」、ピアは「彫刻」の主張で、近くまで確認しに行くことに。それだけでも広い池をグルっと迂回しなければならないほど広いのだが。もちろん亀は生きている本物だったが、ピアは「生きた彫刻ということ」と言って茶化す。そんなような、とりとめもないおしゃべりと行動も楽しくなるほど、ここは時代が止まったような異次元空間。
「ルパン三世と人造人間マモー」というアニメ映画で、ルパンが夢の中のような世界で車輪遊びをしている子供の影や、生きているはずのないアドルフ・ヒトラーと出会うシーンがあるが、そんなようなことを思い出させるような世界がここにある。
巨大な権力を有していたハドリアヌスの別荘も、今では無数のトカゲと亀と魚と白鳥たちが堂々とした住人として暮らしていた。
散策を終えて、車でローマのピア邸に戻る。
アスパラガスとオリーヴのパスタを作って、ワインで3人で乾杯。
アレもピアも珍しくお酒が進み、3人でワインを3本空ける。



2016年3月21日(月)
今日は完全オフ。午前中は寝て過ごし、お昼前にシャワー。
昼食にイワシの塩漬けを入れたオリーヴベースのパスタ&ビール。
石井輝男監督「怪談昇り竜」のDVD映画を観ようとするが、テレビとDVDの再生機の配線の仕組みがよくわからず、20~30分あれやこれや試すも、結局あきらめる。以前は簡単に再生出来たのだが部屋のテレビが新しいものに変わっていたので、システムも変わったのだろう。この映画、梶芽衣子が扮する復習を誓った女がヤクザを相手に斬りまくって話が進む映画で、実は10年以上前に一度観たことがある。土方巽も出演している。
石井輝男監督は伝説的な「B級映画監督」で、江戸川乱歩の小説を原作にして、土方巽を全面的にフィーチャーした「恐怖怪奇人間」などは、「役者・土方巽」の姿が充分に楽しめて見応えあり。
特にエンディングは日本のB級映画史上、伝説となったエンデイングで、自分も初めて観た時にはあまりの衝撃で、DVDで何度もその場面だけを繰り返し再生して観入った。興味ある方は是非観てみて下さい。自分の中では最も衝撃的なエンディングの映画のひとつとして数えられる。
夜はピアと食事の約束をしていたので、最初は待ち合わせ場所まで地下鉄で行こうと考えていたが、時間もたっぷりあるし、歩いても一時間ぐらいで着くハズなので、早目に出て歩いていくことに。町の写真を撮りながら、ブラブラ歩くのもまた楽しい。
今滞在の二日目の夜にも行ったサン・ローレンツォ地区の手作りピザとビールの店で夕食。ネロ・ダヴォラを注文したが、二人では飲みきれず。お店の人がコルクをくれて「ボトルを持って帰っていいよ」と声を掛けてくれる。優しい店員さんだ。



2016年3月22日(火)
朝食を済ませ稽古の準備をしているところに、ブリュッセルでのテロ事件の一報がピアのスマホに入った。今回のローマの連続WSのコーディネーターであるピアは、普段イタリアのテレビ局「La 7」の報道部のスタッフとしても働いている。ピアのスマホはそれ以降、各方面からの着信音が鳴りやまず。ブリュッセルで起きた事件に伴い、本日の収録内容を全て改めるとのことで、既に呼んであったゲストへのキャンセル連絡、緊急報道特集の打ち合わせなどで、ピアは朝からテンテコマイ。予定していた午前中のオイリュトミー稽古は取りやめ、すぐに局に向かった。
自分も途中まで乗車し、局近くのポポロ広場でおろしてもらう。そのままコルソ通りをコロッセオ方面まで写真を撮りながら下る。途中、ヴェネチア広場近くにある野良猫の保護センター「Gatti Di Roma」に立ち寄る。ウチのジャガに似たキジトラの猫がおり、この種の猫は世界のどこにでもいるのだなと感じた。ジャガも元々、国分寺のストリート出身の野良だったので、野良猫の多いローマの道端にこの種の猫がいても不思議ではない。
早歩きであれば30分程で着くコロッセオまでゆっくり一時間半程かけて歩く。
コロッセオで地下鉄に乗り、サン・パオロ・バジリカ駅へ向かう。腹が減っていたので、何か食べようと思っていたところ、駅を降りるとちょうど目の前にケーバップ屋が。本滞在2回目のケーバップを味わう。サン・パオロ・バジリカ駅周辺は学生街で、昨年公演したローマ第3大学も近くにある。観光地とは違い、ローマのローカルな一面を見せてくれる。
一時間ほど周辺の写真を撮りながらうろつき、駅でサマンタと合流。午後は彼女の職場を案内してくれる予定になっていた。サマンタは写真の暗室作業の専門家で、ここに友人たちと暗室を持っている。訪れてみるとサマンタの仲間たちが数人、作業していた。建物の地下室の3部屋を借りて設えられた暗室・作業場。
今日は昨年サマンタが日本で撮った写真(モノクロ)を現像するという。最初は彼女の作業の様子を見学していたが、「やってみる?」と誘われて、人生初の白黒写真の現像にトライ。
引き伸ばし機のF値(絞り)や投光時間などを設定し、プリント紙に投光する。一眼レフカメラの絞りとシャッター・スピードの設定と同じイメージだが、投稿時間(カメラにおけるシャッタースピード)は秒単位で計り、長い。今回は26秒から39秒の間で、何度か試す。写真は自分とアレを昨年の天使館で写したものを現像。投光を終えて現像液にプリント紙を漬けると次第に写真が浮かび上がってくる。初めて味わったが、この瞬間は、何とも言えず感動的だった。自分はサマンタのアドヴァイスに従って作業しただけだが、これはとても惹きつけられる作業であった。5枚程の現像体験をさせてもらったが、人生初ということもあって、とても興奮した。暗室を出ると、外は完全に日が暮れており、そのままサマンタとトラステヴェレ地区までバイクで移動。ピア、アルベルト、アレ、そしてローマの日本人の友人であり通訳のダイスケさんと合流。ピアお薦めの肉料理専門の食堂へ。自分はビステカ・ディ・マンツォ(ステーキ)を注文。アルベルトとダイスケさんは、骨付きのポークを注文したが、その大きさは圧巻。以前、メキシコのグアナファットで出てきた物と全く同じ。子供の頃からローマで育ち、暮らしているダイスケさんも、これは初めてだったらしく、完食出来ずに途中でギブアップ。それでも、観光化されていない、地元の人しか訪れない、安くて美味しい食堂で、次回日本からのツアー客の仕事で、ここを利用したいと言っていた。
大いに盛り上がり、十二時過ぎに帰宅。



2016年3月23日(水)
午前~お昼までマラフロンテでアレ、ピアの三人でオイリュトミーの稽古。WSで稽古した母音・子音の動き、テキスト、言語形成など。6年前のローマでの連続WSで少しだけ触れた、子音と黄道十二宮についてもう一度教えてほしいというので、後半は十二の方向感覚とそれぞれの星座の所作、子音の動きを稽古した。
稽古後ピアはテレビ局、アレは自分のクラスへ、自分は一旦部屋に戻り解散。途中、帰りの道沿いにある中華食堂で昼食。ローマには中華食堂が割と多くあり、値段も非常にリーズナブル。ワンタン・スープ、広東風炒飯、焼きそばの3品でちょうど10ユーロ。味も悪くない。イタリア料理、ケーバップ等が続いていたので、久しぶりのアジアン・テイストは嬉しかった。
部屋に戻り、黒木和雄監督の「日本の悪霊(1970年作品)」を観る。主演の佐藤慶がヤクザと警官の一人二役を演じながら、60年代後半の日本の社会を描いた作品。土方巽も出演している。気になったのはオープニングの挿入歌で、誰の演奏によるものか知らないが、かっこよかった。ギターの音が、乾いたクランチの効いた粗削りの音で、ソロをロング・トーンの一音だけで強引に押し通す手法は、どこかジェフ・ベックを彷彿させるものがあった。
夕方、再び外出。地下鉄でオッタヴィアーノ駅(ヴァティカンの近く)まで行き、ピアと合流。シチリア料理を専門とする食堂で「ウニのソースのパスタ」を食べる。非常に美味。



2016年3月24日(木)
午前中はオイリュトミーの稽古。
昼食にサンドウィッチ食べ、ポポロ広場へ移動。一昨日はここからコルソ通りをコロッセオに向かって下ったが、今日は裏道を散策しながらコロッセオに向かう。スペイン階段、トレヴィの泉はいつ来ても観光客が多い。遺跡群が広がっているフォロ・ロマーノの中に入場しようと思ったが、券売所が長蛇の列。聞けば、入場まで1時間は待たされるというので、取りやめる。コロッセオからカヴール通りを北上してテルミニ駅を目指す。道中、数多くの「イタリア料理のレストラン」が建ち並ぶが、そのほとんどを中国人が経営している。後でピアにその理由を聞いてみたところ、かつては地元の人が経営していたが、中国人が店ごと買い取って営業しているという。中国からの観光客の数、中国人経営のレストラン、お土産屋、雑貨屋、ローマ市内の中国人の進出率には驚いた。世界の大都市には中華食堂、中華雑貨店が建ち並ぶチャイナ・タウンが存在しているが、イタリア観光の土産屋、イタリア料理のレストランなど、地元の文化的領域にまでチャイニーズ・マネーが浸透している模様。かつてはフェラガモやグッチの直営店では、日本人スタッフが常駐していたが、今ではそのようなブランド・ショップに中国人スタッフも常駐している。
テルミニ駅の本屋を覗くも、目ぼしいものはなし。日本のマンガ・コーナーは相変わらず充実していた。地下鉄で部屋を目指すが、ワザと降りたことのない手前の駅で降りて、周辺を散策。観光名所も面白いが、ローカルな雰囲気漂う、日常のローマの街は何となく気持ちがホッとして好きである。
部屋に戻り、写真の整理。
夜は先日現像した白黒写真が乾いたので、トラステヴェレまで引き取りに出掛ける。
ピアとアレと合流して、サマンタの待つ地元の食堂へ。サマンタの教え子のファミリーが経営している小さな食堂。今夜は食堂が我々全員を招待してくれるとのこと。
イノシシ肉のソースのパスタ(きし麺みたいな)を食べる。もともと豚肉系は苦手だが、この肉とソースはまったく臭みもなく、大変美味。
深夜になり、とっくに営業時間が過ぎているのにも関わらず、ワインと小料理を次々と出してくれる。サマンタの教え子がいるという店だけあって、話題は写真関係。アレは、ローマの友人やダンサーが絶対に欲しがって羨ましがるから、実は天使館のクラスから贈られて所有していることを隠していた神山禎次郎の舞踏写真集について思わず口にしてしまい、「どこで手に入れた?」と激しい突っ込み攻撃に遭う。
楽しい夜であった。




2016年3月25日(金)
午前からお昼までオイリュトミーの稽古。
地下鉄でカヴール通りまで出て、ミケランジェロの「モーゼ像」が見られるサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会に向かうが、閉まっており残念。そのままコロッセオまで歩いて下り、周辺を散策。ここはいつ来ても人が多い。コロッセオをあとにして、更に地下鉄でガルバテッリ駅に向かう。ここはサマンタが教えている写真学校がある。中に小さなバー・カウンターがあり、ビールを飲みながら写真集を閲覧出来る。
ビールを飲みながらWILLIAM KLEINの写真集「ROMA」を見ていると、ここの学校の先生と思われる男の人から「KLEINは好きか?」と声を掛けられる。KLEINの撮った「TOKYO」はピア宅で何度も見たことがあるので、「KLEINのTOKYOは見たことがあります。ROMAも撮っているんですね」と答えると「それ持っていっていいよ。先日のダンスのお礼だ」と信じられない言葉。思わず「冗談でしょ?」というと、「冗談じゃない。本当だ」という。
聞けば彼はマルコといって、ここの学校の先生(サマンタの同僚)をしているという。先日の2回目のデモンストレーションの時に、彼も撮影に来ていたという。
あまりのカメラの多さと撮影音で、非常に苦しい2回目の本番だったが、そんなキツイ思い出も一気に吹っ飛んでしまうぐらい、嬉しい驚きだった。あとから合流したサマンタに学校でKLEINの写真集をもらったことを話すと、驚きと同時に、実はマルコが、自分がデモンストレーションで踊った音楽オイリュトミー「バルトーク/コズト」を大変気に入っていたことを教えてくれた。
夕方のトラステーヴェレ地区を散策しながら、カンポ・デ・フィオーリ広場に出る。サマンタ行きつけのバー(80代の姉妹が二人で切り盛りしているローカルなバー)でビールを飲みながらアルベルトの車を待つ。車に乗り込み、アレを自宅でピックアップし、ローマ郊外の地元食堂「ベット・アン・メリー」へ。ピアも誘ったが、電話の向こうで「収録が深夜にまで及びそうで、テンテコマイなのよ」という。残念。
前菜は生野菜のオリーブ漬け、コロッケ。次にトマトソースのパスタ。メインは子羊のステーキ。このコースはアルベルトお薦めのコース。どれも大変美味で、特に子羊のステーキは、意外にも臭みが全くなく、気に入った。
アレは日本にいた時は小食のイメージだったが、ローマでは一変、全てのコースをモリモリ食べる。やはり生まれ育った故郷の味は、誰にとっても格別なのだろう。
明日はいよいよPetrella Saltoへ出掛ける日。あそこを訪れるのは、1997年7月以来だから、19年ぶり。


2016年3月26日(土)
朝からピアの運転する車でローマを離れ、東の山間部へ向かう。
目的地はPetrella Saltoという村。実は19年前に一度、一人でここを訪れている。この村の名前を聞いてピンと来る人は、そう多くおられないと思うが、ここはのちに、コラード・リッチやアントナン・アルトー、モラヴィア、シェーリー、スタンダール、澁澤龍彦、久生十蘭などの多くの文学界の作品のインスピレーションに火を点けた歴史的事件がかつて起きた場所。
ベアトリーチェ・チェンチが父親フランチェスコ・チェンチを殺害した砦跡がある村である。
人口数百人(もしかしたら100人程度かも)ぐらいの過疎化が進む小さな村。最寄りの都市はここからバスで一時間程北上したリエッティ。バスは一日に2本ぐらいしか走らない。
空き家が多く、そのほとんどが「売り」に出されている。値段も、びっくりするぐらいは破格で、頑張って稼げば手が出ないことはないような値段。
宿もなければ、外食も出来るような場所もない。
車を停めて、ベアトリーチェ・チェンチの砦跡が建つ小高い山を登る。
19年前に一人でこの村に着いた時の記憶が蘇える。
当時、一人でバスに乗ってこの村に着いた時、バスを降りたら一人の少年が外国人(私)が来たことを珍しがって声を掛けてきた。私がチェンチの砦に行きたいことを告げると、少年は村の役場までとりあえず案内してくれた。役場と言っても、部屋はひとつにフェルナンドさんという初老の男性が一人、机に向かって暇そうにしているような所。
片言のイタリア語で「チェンチの砦の行き方を教えてください」と告げると、案内してくれるという。
ペトレラブログ.JPG

彼の案内で村を抜け、後方の小高い山に登ると、砦はあった。
城壁の跡が僅かに残っているのみで、草木が生い茂っていて、まさに遺跡。フェルナンドさんが僅かに残る部屋の間取りをあらわす壁跡を説明しながら、フランチェスコ・チェンチが殺害された場所や、その遺体を突き落とした場所、義母とベアトリーチェが幽閉されていた部屋の跡を教えてくれた。
教会blog.JPG

殺害されたフランチェスコ・チェンチが眠るサンタ・マリア・デッラ・ペトレッラ教会(写真上)。かつて史実を検証するために、墓を掘り起こしたことがあるらしい。遺体は靴(scarpe)を履いたまま、鈍器で殴られた跡を残して埋葬されていた。
砦チェンチ1.JPG

(写真上:ベアトリーチェ・チェンチの砦跡。生い茂った木々の向こうに壁跡がみえる)
今回、19年振りにここを訪れたが、さらに風化が進んでいる印象を受けた。おそらくあと数十年もすれば、完全に壁跡も崩壊してなくなってしまうだろう。
砦2.JPG

かつてフェルナンドさんがいた役場の部屋のある建物は空き家となっており、売りにだされていた。下の写真はチェンチの砦から見下ろしたペトレラの村の様子。
petrellablog.jpg

村の向こうにみえるのがサルト湖。湖のほとりに唯一の食堂を見つけて、ここで獲れた魚のフライを食べた。淡水魚だが日本では見たことのない種類の魚。白身でとてもうまい。
遅めの昼食で、白ワインを一本空ける。
それにしても、ピア、この後も運転があるのに、普通にワインを飲む。日本ではとても考えられない。
名残り惜しい気持ちを少し感じつつ、ペトレッラの村を後にし、ピアの実家のあるアヴェッツァーノを目指す。
明日はイースタ(復活祭)。家族・親戚が集まって、お祝いをすることになっている。



























































ツアー日記イタリア2015年6・7月

2015年6月25日(木)
朝の通勤ラッシュの中央線を避け、6:43国分寺駅の成田エキスプレスに搭乗、成田空港第一ターミナルを目指す。9時に空港着。10時半の集合時間まで時間があるので、ショッピング・モールを散策するも買いたい物とくになし。銀行で円をユーロに換金したのみ。
ツアー・メンバーが全員集合した時点で、一斉にチェックイン。12名からなる団体で、時間かかる。チェックインを無事済ませ、日本を離れる前の最後ラーメン。免税店で機内で飲むバーボン(ワイルド・ターキー8年)を仕込む。
13:15発のアリタリア便でローマを目指す。フライト時間は約12時間。Akiraさん、搭乗口・機内で弟を含め何人かのメンバーの姿が見えなかったので、無事に同じ機内に乗り込んだか心配している。結局、姿を確認せずに飛行機は滑走路に向かい離陸態勢へ。ここで飛行機を搭乗ゲートまで引き返させたら「ナッツ・リターン」ではなく「ミッツ・リターン」になるなと冗談をいう。飛行機が安定飛行に入って、すぐにシートベルトを外し、メンバー全員が機内に乗り込んだか確認。どうやら全員乗り込んだ模様。しばらくして食事サービス。トマト味のペンネ、美味し。赤ワインと一緒に。
12時間のフライト中、最近手に入れたI PODで音楽を聴いたり、読書(佐藤優の世界史の
極意)、C.イーストウッド監督の「アメリカン・スナイパー」という映画を観る。大変シリアスな内容。いろんなことを考えさせられた。
現地時間の夕方7時にローマに無事到着。去年と同じドライバーが運転する送迎リムジンで市内の主泊地(B&B)へ。ツアー・メンバーが多いので、2箇所の宿泊施設に分かれる。
こちらは女性3人部屋と男性2人部屋の5名で宿泊。部屋の相方はTera。バルコニーが広く、キッチンでは料理も出来る素敵な宿泊地。
一休みして、現地主催者のマリア・ピアをはじめ、イタリアの友人たちと近くのリストランテで食事。魚介のフライやサラダなど、前菜だけで腹一杯になるほどの豪華な料理。私はメインにビステカ・ディ・マンツォ(ビーフ・ステーキ)を食べる。
宿に戻り、爆睡。

2015年6月26日(金)
朝7時頃目覚める。PCを繋ぎ、インターネットが使えるかチェック。無料のWIFIが使いたい放題。日本からペット・シッターのMitsuhashiさんからウチの猫の様子を撮った写真がメールで届く。ちゃんとお留守番をしている模様で、一安心。
Tera、エスプレッソ・マシーンでエスプレッソ作るも、水を入れる場所を間違えてマシーンを焦がし、壊す。
Tera、Hirokoと近くのカフェで朝食とスーパーまで買い出し。ビール、ワイン、サラミ、パン、サラダ、ステーキ用の牛肉を買い込む。ここは自分たちで料理が出来るので助かる。
市内の交通機関はストライキのため動いていない。そのためどこにも行けないので、ベランダでビールなどを飲みながら時間を潰す。今日は夜の歓迎パーティーまで特に予定はない。
昼飯は近所のケバブ屋で。食べた後、時差ボケのせいか、とたんに眠くなり夜の7時過ぎまで寝込む。夜は主催者宅でパーティー。赤ワインと生ハムをふんだんに食べる。夜中の12時すぎに宿に戻り、バルコニーでメンバーたちと(再び)飲み始める。オイリュトミスト同士、ネタはオイリュトミー話で話が尽きない。「意志・感情・思考」、「人称感覚」、「色彩」について、話は盛り上がり夜中の2時まで。一旦ベットに入るも、6時頃目が覚める。バルコニーに出るとTeraが一人で朝ビール。一杯だけ共にして、再び就寝。

2015年6月27日(土)
朝9時頃起きる。近くのカフェでエスプレッソ、スーパーでパスタ、にんにく、唐辛子、イタリアン・パセリ、オリーブオイル、胡椒、フライパンを買う。自炊する気満々。
昼食に早速、アーリオ・オーレ・ペペロンンチーノを作る。う~ん、美味しい!
今日はワークショップの第一日目。待ち合わせ時間を決めて、みんなで地下鉄を利用して会場へ向かう。ローマ、大変暑し。30度はあろう。今日のWSはNaokaが担当。テーマは「時間」。前半の2時間を担当する。後半2時間はAKIRAさんがWSを引き継ぐ。イタリアからは10数名の参加者。我々他のメンバーは当初見学する予定だったが、結局最初から一緒に動く(参加)ことになった。
「時間」という難しいテーマを様々な角度から動きと結びつけて取り組む。
私は明日担当だが、様々なヒントを得た。
WS終了後、会場近くのお店でビールの乾杯。地下鉄で宿に戻り、途中で中華のお店で焼きそばのテイクアウトを取る。ここの中華は去年見つけ、美味しかったところ。焼きそばのテイクアウトが3.5ユーロは安い。
夜は恒例のベランダでの飲み会。みんなでワイン2本空け終了。

2015年6月28日(日)
よく眠る。やっと時差ボケから解放された模様。朝は恒例のカフェでエスプレッソ。スーパーで水とファンタ・オレンジを買う。午前中はWSの準備。ペット・シッターのMITSUHASHIさんからメール届く。ウチの猫たちはちゃんとお留守番している模様。昼食は、ステーキを焼く。スーパーで買った安い肉だったが、以外にうまい。
今日の前半のWSは私が担当。テーマは「人称感覚」。呼吸法、発声練習を「一人称・三人称」の感覚で掴むことを目的としてWSの流れをイメージしたが、参加者のほとんどが昨日オイリュトミーと出会った人たちがほとんど。突然、人称の稽古を行うわけにはいかない。やはり基礎を中心に進めて、人称感覚の稽古としては、「吸気と呼気の違い」を体験・探るところを繰り返し行なった。通訳を介しているので、説明の時間も倍かかり、準備した内容の5分の1ぐらいしか展開出来なかった。
後半のWSはAkiraさんが担当。2時間、「これぞKASAI STYLE」とイタリア人が好みそうなハードでエッジの効いた振付を動く。音楽は「Steve Reich」。
WS終了後、近くの店でビール。今年の秋に2ヶ月半ほど天使館に体験留学するアレクサンドラとの久しぶり再開。彼女のダンスは素晴らしい。
今日は地下鉄ではなく、歩いて宿に帰ることに。以外に歩ける距離だった。途中、夕飯としてケバブを食う。美味い。
宿に戻ってすぐに洗濯&シャワー。結構疲れていたようで、バーボンのロックを1グラスだけ飲んで、皆より一足先にベットへ。

2015年6月29日(月)
昨日は早く寝たので、朝の身体の調子がいい。
午前中のリハと午後~夜のWSの間にゆっくりと昼食を食べるタイミングがなさそうなので、午前中のリハ前にしっかり食べることに。キッチンでペペロンチーノを作る。その後、夕食の買い出しをスーパーまで。パスタ、トマト・ソース、キャンティー・ワイン。
午前11時からリハーサル開始。イタリア人の友人であるサマンタに通しを観てもらい、イタリア語の発音の直しやアドヴァイスをもらう。全体としてイタリア人が聴いても、違和感なく聴ける模様であった。しかし「gli」や「degli」の発音だけは日本語にはなく、やはり難しい。
リハ終了後、ピザをひと切れとスイカを食べる。Ken曰く、スイカは開いた瞬間(真っ二つに切った瞬間)、マイナス・イオンを発するとのこと。確かにそんな気がする。
今日の前半のWSはTeraが担当。テーマは「エフェソス」。発声練習、五芒星形、円形、レムニスカート等、Teraらしい「熱い」ワークを展開。
Teraは今でこそ、日本の各地でWS活動を展開・活躍しているが、彼が初めてオイリュトミーWSを行なったのは、イタリアであった。しかも当時の彼は英語もイタリア語も話せず、日本語で。それを私が英語に訳し、その英語を英語がわかるイタリア人がイタリア語に訳して伝えるという手法であった。
Teraは日本語しか喋らないが、それでもイタリア人を惹きつけ、飽きさせることなくWSを展開する不思議な力と感性をもっている。他のWSには参加しないが、TeraのWSにだけは来るというイタリア人のファンもいる。
後半のWSはAkiraさん。五芒星形の魔術的意味の話や、「2次元と3次元に動き」や、子音の練習が今日から始まった。
WS終了後、AKIRAさんのスタジオ・デモンストレーション。今年の春、東京・京都で上演された「今晩は荒れ模様」でも使用されたラフマニノフの曲を使用しながら、およそ20分の即興。衣装は上下の白スーツ。最後は上着を脱ぎ捨て、ひたすら動きまくり、観客を沸かす。
今日も宿までは徒歩で帰ることに。途中のお店でビール一本買って、飲みながら帰る。
夕食はスパゲティ・アラビアータ。赤ワインをソースに入れて、味の深みを出す。お腹が空いていたので、一気に完食。美味い。
バルコニーでTeraの作った骨付きチキン焼きと赤ワインを飲む。

2015年6月30日(火)
朝一番に味噌汁を作り飲む。美味い。
今日は午前中はデモンストレーションのためのリハーサル。各出演者が本作品「蝶たちのコロナ」の他にソロやデュエットをみせる。リハーサル前の朝の時間の内にスーパーまで買い出し。部屋飲み用のジャック・ダニエルを買う。
午前11時から私のデモ作品の稽古。音響のT氏と綿密なサウンドチェックとキッカケの打ち合わせ。
昼食にリハーサル会場近くのケバプ屋でケバプを食べる。こちらのケバプは日本とは違い、サイズもビック・サイズ。満腹になる。午後3時からのWSまで時間があるので、稽古場近くのギターショップに立ち寄る。イタリアのハンドメイドのエフェクターを得意とするショップで、去年も立ち寄った店。店主は私のことを覚えていてくれた。
何も買う訳でもないのに(本当は欲しい物がたくさんあるが、どれも高価で無理)、30~40分ほど店内のエフェクターを試し弾きする。フィレンツェのローカル・ブランドが製作したファズは、とても気に入った。店主はトニー・アイオミ(ブラック・サバスのギタリスト)が好きなようで、私の試し弾きの最中に「それはランディー・ローズのやり方だ」とか「ザック・ワイルドのパターンだ」と突っ込みを入れてくる。いや~、本当にトニーが好きなんですね。私は特にサバスに思い入れがないので適当に弾いてるだけでしたが。日本の楽器屋の店員では、こうはいかない。イタリア人の気質を改めて堪能。
WS前半の2時間はIzumiが担当。テーマは色彩。過去・現在・未来と色彩の関係や、鉱物・植物・動物と地球との関係の話など、興味深い話がたくさん聞けた。
後半2時間はAkiraさん。子音の動き、7芒星形の動きが登場。なかなかレベルの高い内容。キリストの光と「神の名前=神名」の説明は興味深く、イタリア人も「なるほどなぁ」という雰囲気だった。古事記やギリシア神話、北方神話、世界には様々な神話があるが、神話を読み解くには、ある共通した「鍵」があることに気づかされた。
WS終了後、Maria PiaとKINUKOさんと三人で、公演後の打ち上げ会場のリサーチに出かける。ついでにビールを飲む。途中テイクアウトの中華屋で焼きそばを買って帰宅。


2015年7月1日(水)
朝一番に味噌汁。美味い。今日は11時から2回目の通しリハーサル。荷物をまとめて地下鉄に乗り込む。
1回目の通しリハよりも身体の状態がいい。こちらの空気に慣れたというか、馴染んだというか。
昼食に「バーガーキング」でハンバーガーを食べる。
今日の前半のWSはHARAさんが担当。テーマ「意志・感情・思考」。本人、直前まで緊張してる様子だったが、いざイタリア人の受講生の前に立つと、堂々としている。本番に強いタイプなのか?
彼女独特のキャッチーな声で「ベーネ、グラッツェ、もう一度⇒きれい、ありがとう、もう一度」(なぜかもう一度だけ日本語)は、空間を一気にHARAワールドに変容せしめるのに充分な効果があった。とても楽しい時間であった。
後半2時間はAKIRAさんのWS。最初に前回やった振付の返しをやったので、今日は振付の続きかと思いきや、次は子音の稽古に入った。今日は主に打音系の音を稽古(KGDTNB)。この6つの子音を「三人称感覚」、「惑星と黄道十二宮」、「吸気と呼気のイマジネーション」の中で練習。なかなかレベルの高い内容と濃さをもった時間。
WS終了後、瓶ビール片手に地下鉄の駅までブラブラ。今日の夕飯はツアーメンバー全員で中華を食べることに。いったん宿に戻って八時半にお店に集合。外のテラス席を予約してあった。
ビール、赤ワインで乾杯をし、それぞれが好きなものを注文。私はワンタンスープと牛肉の鉄板焼きを注文。
宿に戻り、バーボンを一杯だけ飲んで就寝。


2015年7月2日(木)
今日はいよいよローマでの本番初日。会場はローマ第三大学。午前中は、WS準備をしたり、スーパーまでステーキ用の肉を買いに出かける。300gほどのステーキ用牛肉が4ユーロで買えた。
臭みも無く、柔らかくて美味しい。オリーブオイルをひき、ニンニクのカケラと一緒にフライパンで焼く。肉には塩・胡椒で下味。今日の本番後の楽しみはこれです(今日は打ち上げをせず、終演後すぐに宿に戻るため)
昼食にスパゲティ・アラビアータを作る。私は本番前のメニューではパスタが多い。
現在お昼の12時半。14時半に車で会場に向かう予定。
15時に会場着。(去年もそうだったが)ここの床は滑りやすいので、通し稽古の前に入念に床拭きをする。会場について急遽、舞台を前舞台と奥舞台の2段構造にして使うことが決定。奥舞台は前舞台よりも70~80センチ高くなっている。全部で18シーンある作中のうち5シーンほどを奥舞台、もしくは奥舞台と前舞台両方を使って動くことに。こういった大胆な変更を本番直前に受けても、対応できるアンサンブルが素晴らしい。
本番前の通しが終わり、サーモンのサンドイッチを食べる。
19時からレイモンド教授のレクチャーがスタート。聞き役はAKIRAさん。テーマは「プラトンと言葉とリズム」。後半のレクチャーはAKIRAさん。母声・父声、ゲルマン言語・ラテン言語・日本語について。
20:45、いよいよイタリア・ローマでの初日が開演。去年は、作品と作品の間に拍手が入ったりして盛り上がっていたが、今回は最初から最後までじっと作品を「聴き入り」、「観入っている」様子。
初日の舞台はあっという間に終わった。多くのイタリア人が、我々が1時間の長さの作品を全てイタリア語で仕上げたことに驚いていた様子。発音も内容も問題なく聞き取れたとのこと。とにかく作品自体が驚きのようだった。逆に考えれば想像つくが、ドイツ人やイタリア人が一時間の日本語のテキストを覚え、オイリュトミー作品にまで仕上げ、それを日本で上演しにツアーにくるか?と想像すると、まったくゼロではないにせよ、想像しにくい。
車で宿まで戻り、近くのピザ屋でビールを一杯飲む。宿でステーキを焼く予定でいたが、ピザ屋でビールしか頼んでいないのに、サービスにカレー味のコロッケ二個とピザ二切れが出たので満腹に。ステーキは明日のお楽しみに延長。
シャワーを浴び、ベランダでメンバーたちとささやか飲み。1時頃就寝。

2015年7月3日(金)
朝八時半に起床。
すぐに洗濯とコーヒー。ペットシッターのMitsuhashiさんより、ウチの猫たちの様子を伝えるメールが写真添付で届く。元気そうで一安心。Mitsuhashiさんにも慣れたようで、ウチに世話にくるとジャガもトラも姿を現すとのこと(以前は、ベットの後ろに隠れてしまっていた)
今日はローマ公演の2回目。会場入りは夕方の16時なので、今(午前中)はこのように日記を書いたり、のんびりしている。先ほどスーパーまで食材を買いに出かけた。パスタ、イタリアン・パセリ、香辛料(タイムとサージ)、ミネラルウォーター。たった今、ステーキを焼いて食べ終わったところ。美味かった。

場当たりに出かける前に、もう一度腹ごしらえにパスタを茹でる。料理をしていると掃除のおばさんとおじさんが「私たちの分も作ってくれ」と言ってきた。最初は冗談かと思ったが、「お金はいくら払えばいい?」と言ってくるので「お金はいらないから、僕が作ったのでよければどうぞご一緒に食べましょう」と急遽3人分のパスタを茹でることに。トマト味のパスタを「美味い、美味い」と食べてくれた。食事中、「ミネラル・ウォーター飲むか?」と聞かれたので、「ハイ、飲みます」と答えると、冷蔵庫から出してきてグラスに入れてくれた。
後で気づいたが、そのミネラル・ウォーターはメンバーの誰かが「自分用」に買ったもので、出かける時に持っていこうとしていたものだった。持っていこうとしたら半分ぐらい減っているので、
掃除のおばさんを問い詰めると「これはレイジのもので、彼がくれた」と返答。私は別にメンバーの物を勝手に飲もうとしたわけではなかったが、彼らが冷蔵庫どこからミネラル・ウォーターを出してきたか、気をつけるべきだった。
メンバーによると、自分たちの買った冷蔵庫の食材が勝手に使われたり、場所が移動していることが何度かあったので、おばさんには気をつけていたとのこと。
そう言われてみると、私も買ったはずの「ニンニク」がなくなっていた。
気持ちよく料理を作ってあげたつもりだったが、ただの「たかりババァとジジィ」だったことが判明。


16時から現場で場当たり。AKIRAさんは取材のため不在で、自分たちで進める。袖幕のない空間で、履けてもお客から体が見える。そのため履けたあとのポジショニングを確認。途中、雨が降り出し、天窓を強く叩きつける。「何か」がこれから起きそうな雰囲気。
場当たりが終わり、休憩。開演は20:45。その間に向かいのカフェで軽食。コーヒーとピザサンド。会場に戻り、ストレッチ。雨はあがった。

20:45、観客が少ない中、ローマ公演の2回目が開演。

この2年間「蝶たちのコロナ」は日本、ドイツ、イタリアで上演され、公演回数も多い。
その中でも、今夜のローマの2日目は最も集中した空間とエネルギーにあふれた本番となった。
おそらく「集中度」では今までの中ではナンバー1だろう。
今までは集中していなかった、ということではない。しかし今夜みたいな本番は、狙って出来るものでもない。生涯忘れえぬ本番のひとつとなったローマの熱い夜。

本番が終わり、何台かの車に乗り分けて打ち上げ会場へ。場所はサン・ローレンツォ地区にあるバー。ビールを得意とする店で、一杯一杯、丁寧に時間をかけ入れてくれる。なんとトイレの入口が古い洋服タンスになっている。一見タンスかと思いきや、タンスを開けるとトイレにつづく廊下になっている。
ビールとネロ・ダヴォラを飲む。酒はうまいが、出てきたペペロンチーノは全く塩気がない。自分で直接塩をかけて味付けして食べる。イタリア人が作るパスタがすべて美味しいわけではないことを改めて痛感。
宿に戻り、バーボンを一杯だけやって寝る。

2015年7月4日(土)
11時からデモンストレーション用のリハーサルを13時まで、2時間ほど。音響のT氏とHirokoの3人で近くレストランで食事。スパゲティ・ヴォンゴレを食べる。美味いが量が少ない。
今日のWSの担当はKENTARO。テーマは「感覚」。「視覚」・「聴覚」の稽古を行う。感覚の稽古は体はそれほど激しく動かさないが、かなり集中するので、後半のAKIRAさんの時間にはバッテリー切れで、まぶたが岩のように重くなる。立っているのがやっと。この後、私はデモンストレーションをやらなければいけない。エネルギーを温存したいところだが・・・・。
WSが終わり、今日は私がデモンストレーションをする番。
冒頭にシュタイナーのテキスト(ドイツ語)とベートーヴェンの手記を日本語・ドイツ語・イタリア語の3カ国語で行う。
その後、音楽オイリュトミーに関する簡単な解説を、音階の動きの実演を交えながら行う。MITSUがギターで長調と短調の音階を弾いてくれた。
デモンストレーション最後の作品はショパンのノクターンの20番。
無事に終了し、さっさと撤収。途中、ティブルティーナ駅にある、去年から気になっていたケバブ屋でケバブを食べる。やはりカンが当たったようで、ローマで見つけたケバブ屋の中では、今のところ一番美味い。
ビールを飲みながら宿まで歩いて帰る。
夜はバルコニーでメンバーたちと飲みながらおしゃべり。ジャック・ダニエルやグラッパ、ハード系なボトルがテーブルに並ぶ。
疲れていたせいか、12時前には寝る。

2015年7月5日(日)
朝一番にスーパーまで食材の買い出し。ステーキ用肉3枚、パスタ、ニンニクを買う。日曜日だが、普通にスーパーがやっているのは、嬉しい(ドイツでは日曜はお店は閉まっている)。早速、宿に戻ってステーキを焼く。
WSまでの間に洗濯、ノートの整理などをする。
今日のWSの担当はSADA。テーマは「反感と共感」。あまり聞き慣れない「テーマ」だが、オイリュトミーには「反感・共感」が「動きとして」ある。それを掘り進めていくと、「意志・感情・思考」や「呼吸法」や「純粋感覚/感覚内容ではなく、感覚力そのもの」の領域とも重なる、深いテーマ。SADAらしい、分かりやすく、かつ丁寧な解説で、楽しかった。特に、「睡眠」と「共感」の関係性の話は印象に残った。
後半の時間はAKIRAさん。12の子音を一気にやる。「コンソナンンテンの動き」よりも「父声・母声の動き」からのアプローチに趣をおいた説明。
WS終了後、昨日に引き続きデモンストレーションの時間。今日はSADAとKENTAROが北原白秋の「須佐之男」を発表。日本でも何度か上演したこのある作品。
今日はTERAの42回位目の誕生日。デモンストレーション終了後、WS生、観客たちとシャンパンの乾杯。メロディーはあのままで、歌詞だけがイタリア語の「ハッピー・バスデー・トゥー・ユー」の歌を初めて聴いた。
ビールを片手に歩いて宿の戻りスパゲティ・アラビアータを作る。その後、SADA・KENの宿泊している宿に集合してTERAの誕生会と称した飲み会開始。メンバー全員だけで一緒に部屋で飲むのは今回が初。話題はオイリュトミーから安倍政権、ギリシャ問題まで幅広く。
自分の宿に戻り、バーボンを一杯だけやって就寝。

2015年7月6日(月)
午前中は食材の買い出し。パン・唐辛子ソース・ワイン。肉を焼き、唐辛子ソースをかけてパンに挟んで食べる。美味い。
IPODの画面がフリーズし、強制電源オフも出来ないし、音もでなくなってしまう。これが使えなくなってしまうと大変困る。しかしWSに出かけなくてはならない時間なので、あれこれやっている時間はない。心配しながら、そのままほっといて出かける。
今日のWS担当はHIROKOさん。テーマは「イマジネーション」。色彩の動きをベースにシューマンの「子供の情景」を動く。
今日の後半のWSはMITSUが担当。彼のWSを体験するのは初めて。ストレッチの3つの基本「伸ばす・ひねる・まるめる」は気持ちよかった。後半は振付。モーツァルトの「レクイエム」に合わせて、割とハードな動き。いつものWSとはまた雰囲気が変わり、気分転換になったのでは・・・。
WS終了語、HIROKOのデモンストレーション。作品は今年のさくら祭や5月の白十字で披露した「おいしい日常」。一時、日本でも大ブームにもなった香港発の調味料「XOジャン」について、あえて大げさに紹介するエッセイをオイリュトミー作品化したもの。朗唱は私。
日本語のまま発表したが、ところどころ食材の名前などをイタリア語に直して朗唱。HIROKOは様々なキャクターの人間を動きで描写するのが、とても上手い。言葉の意味はわからなくても、観客は終始、笑いながら楽しそうに見入っている様子だった。
ビールとケバブを食べながら宿に戻る。
音響のT氏がIPODを何とか直してみると、頼もしいお言葉。しかし宿に戻ってみると、自然に復活していた。一体何だったのか?
T氏と最終日の私のWSのための音源製作を行う。短い練習用音源を6つほど。
そのまま引き続きバルコニーで飲み。今日はなぜか酒が進み、五人でワイン数本、バーボン(もともと半分くらい空いてたもの)を飲み干す。つまみ用に「牛肉」として買った肉を焼き、振舞うも「豚肉」だったと判明。買う際に、どうも見た目が牛肉ぽくないなと思っていたが、「carne」と書いてあるので「牛肉」だと思い購入。でも「carne」は肉全般のことを指すらしい。
復活したIPODを聞きなが寝る。

2015年
7月7日(火)
午前中は宿でダラダラ。リハが12時からなので、その前に昼食を済ますか、その後にするか考えている内に出かける時間に。時間の都合ですべての作品は通さず、全員で動く群舞作品や朗唱の難しい言葉の作品を中心に稽古。バッハの「G線上のアリア」は地中海の海の底に沈んだ古代遺跡の柱と(低音)、そこを泳ぎ回る最後の人魚(高音/メロディ)のイメージで動くようにとのアドヴァイス。
昼食はリハ会場(WS会場)の近くに見つけた初めて入るリストランテ。馬鹿でかいビステカとポテトを食べる。おおいに満足する。
今日のWSの担当はKENTARO。テーマは「呼吸」。「浮力」「重力」の基礎練習の後に、ベートーヴェンの第7シンフォニー第2楽章に合わせて簡単なフォルムに乗せる。
後半のAKIARさんの時間では、呼気・吸気における打音(KGD・・・・)の持続音の稽古。これ以上繊細で微細な感覚を扱う稽古はないぐらい、静かで微細かつ集中した時間。
WS終了後、受講生のサラが、普段から大道芸として行なっている「操り人形」のパフォーマンスを披露。当初、普通の人形でも使うのかと思いきや、ものすごくリアルなカラスの骨格の操り人形で、本当に生きているかのように操る。おおいに楽しむ。
20:30からアレッサンドラ・クリスティアーニのデモンストレーション・パフォーマンス。彼女のダンスを初めて見たのは5~6年前だが、その衝撃は今でも忘れられない。今日のデモを観て、改めてその衝撃を味わった。すごいダンサー・・・・。
多くの人がは「彼女はナンバー・ワン・イン・イタリー」と賞するが、私が思うに、彼女のような集中度を持ったダンサーは、全世界見渡してもそう滅多にいない。
バルコニーでメンバーたちと食事&飲み。私はパスタ(アラビアータ)を振舞う。HARAさん提供のワインを空け、グラッパに移行、大いに酔っ払う。それでも話す内容はオイリュトミーのこと中心。それぞれの作品の作り方へのアプローチの違いについて話が盛り上がる。私どちらかというと、一旦フォルムを伝えると、あとはそのまま「Let it growかな」というような話をしたと思う。話しながらEric Claptonが頭の中で響いていた。
部屋に戻り、IPODで「GIMME SHELTER」を聞きながら寝る。

2014年7月8日(水)
今日はWS最終日。担当は私。朝10時にWSの打ち合わせのためAKIRAさんの宿へ。ちょっと早めのランチを食べようと、宿泊しているオイリュトミストたちと初日の夜に訪れたレストランまで行ってみるが、早すぎたよう。開店は12:40からだという(こちらのお昼は遅い)。
仕方なく中華のテイクアウトをする。エビチャーハンと焼き餃子。
WSをどのように進めるかイメージしながらベットでウトウト。
連日30数度ある猛暑のローマを地下鉄で移動してWS会場へ。
今日の私のテーマは「北極・南極/惑星との関連で」。北極・南極とは、オイリュトミーにおける基本的な呼吸の取り方だが、それを惑星と関連づけて行うのが、今日のテーマ。
今日に限って通訳がいないため、私が英語でやることに。
惑星における基本的な内容(内臓系との関連)の他、音階との関連、また音楽におけるドミナント感覚と惑星との関連など、今までの私のWSではあまり触れてこなかった内容にも触れてみる。
前半の私のWSは「オイリュトミーの6つ基本形」をイタリア語で行い終了。
後半はAKIRAさんの時間。昨日に引き続き「呼気・吸気」における打音の持続声の稽古を時間かけて行う。私はその前に2時間英語で喋り続けたせいか、完全にバッテリー切れで、瞼が重くてたまらない。立っているのがやっとで、後半の2時間を過ごした。
いよいよ、ローマにおける十日間の連続WSが終了。20:30からMITSUとNAOKAのデモンストレーション。その間、主催者、WSの受講生たちとビールとワインで乾杯。
MITSU&NAOKAのデモは、会場に無造作に椅子を配置して、間接照明をうまく利用したお洒落な空間を演出。長年、二人で作品をやってきたが、今だに「新鮮さ」があるのは、ものすごくいいと思った。音楽の選曲はシリアスになり過ぎず、かつ浅すぎず、二人らしい選曲。そういえば作品タイトルは何ていうのだろう?
カーテンコールの拍手の雰囲気で、イタリア人も大いに楽しんだことが伺えた。
ケバブを食べながら宿まで歩く。ベランダでワインを飲む。隣の部屋にドイツ人のカップルが入ってきた。しばしドイツ語でお喋り。
疲れているようで、酒もあまり進まず、早めの就寝。

2015年7月9日(木)
午前中にシャワー。ペット・シッターのMITSUHASHIさんからウチの猫の近況報告メール&写真添付つき。猫たちは元気でお留守番しているとのこと。もうすぐ会えるね~。
コーヒー飲みに出かけ、ついでにボローニャ広場にある雑誌屋で日本の漫画のイタリア語版を古本を捜す。日本の漫画は「エンジェル・ハート」と「エヴァンゲリオン」の2冊のみ。両方共、日本語でも読んだことない作品。これを機に、イタリア語の勉強を始めようかと思い、購入。2冊で2ユーロ。出来れば知っている漫画がよかったが(ゴルゴ13とか)、さすがになかった。ネットで調べてみると、両方共、日本で単行本として買えるようなので、帰国したら買うことに。日本語とイタリア語を読み比べて、勉強してみようと思う。
今回、シュタイナーのテキストを1公演分、まるまるイタリア語で丸暗記し、朗唱したおかげか、
こちらでイタリア人同士の会話を聞いていても、意味はわからなくても、言葉の区切り、センテンスなどは追えるように耳が慣れてきた。
昼食はイタリア側制作・主催者のマリアピアとサン・ローレンツォ地区のリストランテへ。スパゲティ・アラ・ヴォンゴレを食べる。共同制作関連の話や今後について意見を交換。
今日はローマ公演最終日。夕方6時に会場入り。18:30から軽く一度通す。
20:45開演。最終公演らしく、力を出し切って、無事幕がおりる。
多くのWS生との別れを惜しみながら、車でM.PIA宅の打ち上げ会場へ。すでに時計は夜中11時を過ぎている。深夜の打ち上げ、ワイン・パスタ・生ハムを存分味わう。
夜中の3時すぎに宿に戻り、ベランダでグラッパを1~2杯やってから就寝。
荷造りは起きてからすることに。

2015年7月10日(金)
帰国の日。朝9時頃起きる。ベランダに行ってみるとTERAが自炊の豚肉野菜炒めを食べながら朝ビール。一杯だけもらい、ついでに野菜炒めも味わう。美味い。
味噌汁を飲み、余ったユーロ(それほど残っていないが)を使うためスーパーへ。香辛料とジェノヴェーゼ・ソースを買う。ついでに屋台の洋服屋で白い帽子。
お昼の11:30、空港に向かう車が迎えに来る。人数が多いので2台に分乗。M.PIAが宿まで見送りにきてくれた。宿の前で名残惜しいお別れだが、彼女は来月日本に来るので、すぐまた会える。私が乗った方の車、運転が大変荒い。気分が悪くなる。
空港につき、まずチェックイン。おおむねスムーズに済ませられた。飛行場で最後ランチ。ポモドーロ(トマト)味のペンネ。味が薄く、あまり美味ではなかった。
フライト・ゲートに向かい、最後の買い物。酒、ノート。
15:30のアリタリア784便の成田直行便。飛行時間はおおよそ12時間。機内で懐かしい「INDEPENDENCE DAY」と「IL PADRINO」の2本の映画を観る。機内食には手をつけず、寝てしまった。起きたらすでにシベリアのほとんどを過ぎ、日本海上空に入ろうとしている位置にまで進んでいた。眠っている間にフライトのほとんどが進行したので、長時間の退屈を感じることなくラッキーであった。
日本時間7月11日午前11時ちょっと前に、無事成田に着陸。
荷物の受け取りもスムーズにいき、入国ロビーでメンバーたちと解散。
吉祥寺駅にリムジンバスに乗り込み、最後は中央線で国分寺まで。
恒例のラーメン・タイム。
タクシーで家に向かい、玄関を開けたらトラ・ジャガが元気な姿を見せてくれた。





































ツアー日記メキシコ14年10月

2014年10月12日
お昼の12時に成田空港・第一ターミナルに集合。総勢37名からなるツアー・クルー。15時25分発のアエロメヒコ航空AM057便で到着地のメキシコ・シティを目指す。約12時間のノンストップ・フライト(成田からは週一便だけメキシコへの直行便がある)機内で今年上映されていたアメリカ版ゴジラを観る。
現地時間・同日14時15分、メキシコ・シティに到着。現地コーディネーターのササモトさんと合流。バスで宿泊地のホテル・フィエスタ・アメリカーナへ移動。車中から見る初めてのメキシコの町並みは見ていて飽きないが、あいにく携帯電話のカメラしか持ってきておらず、走るバスの中からということもあって、いい写真が取れず。
一時間ほどでホテルに到着。私の部屋は1605室の16階。シャワーを浴び、バーボンを飲みながら夕食のバイキングまで窓からの景色を楽しむ。
ホテルの夕食バイキング、肉料理とシーフードのグリルで豪華なり。渡航前、大駱駝艦の田村さんから、以前メキシコで、魚料理で腹をこわしたと聞いていたので、ものすごく美味しそうだったエビのグリルは我慢しTボーンステーキを2つとビールを飲む。
今日は出演しているオイリュトミー・メンバーのA.K.さんの29歳の誕生日。食堂でメキシコの音楽隊・マリアッチのサプライズ・バースデー・ソングのプレゼント。本人、バンドの人たちに囲まれて照れ照れ。
夕食後、向かいのお店でビールやミネラル・ウォーターを買い込む。
部屋に戻り、バーボンを少し飲り就寝。
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2014年10月13日
朝8時半にホテルをチェック・アウト。セルバンティーノ国際演劇祭の開催地・グアナファトを目指す。グアナファトとは原住民語で「カエルのいる場所」という意味らしい。バスで五時間の旅。車内ではササモトさんがメキシコの国の紹介や文化などを車内マイクを通してお話し。山岳地帯に勝手にブロックを積み上げて家を造り住み始めた、いわゆる「パラシュート部隊」と呼ばれる人々の話が印象に残る。ブロックを積み上げた家が完成し、家の設備等が完成したあかつきには、ブロックをカラフルなペンキで塗るそうで、そのためか山の斜面にはカラフルなマッチ箱のようなブロックの家がたくさん建ち並ぶ。
午後の14時すぎにグアナファトに到着。ホテルは町の外れにあるホリデイ・イン。
409号室に入室。窓の外はプールがある。
遅めの昼食。ササモトさんが現地の和食屋さんに発注した日本風の弁当。唐揚げや煮物が入っている。
15時、バスでリハーサル会場(Salon de Danza del Edificio de las Artes)へ移動し、第1回目の現地稽古開始。最初に案内された稽古場が学校の中庭(屋外)みたいな所(床はコンクリート)で、びっくりする(その後、手配の手違いと判明、ちゃんとして鏡とバーを設えたダンス・リハーサル室に案内される)
岩山が接近している、まさに大自然の中に囲まれた素敵な稽古場。
ダンス・シーンとオイリュトミー・シーンが同時に動けるほどスペースがないので、止めながらダンスとオイリュトミーを交互に動く。
18時に初日の稽古は終了。夕食はハムとアボガドのサンドとジュース。ダンス・チームのYoshikaが本日の稽古中に着ていたRolling Stones /14 on FireツアーのツアーTシャツが気になり、ダメ元で自分のケネディー・センターのTシャツと交換しないかと持ちかけると、あっさりとOK。これは大きな収穫であった。
夜は私たちが公演をする会場であるAudotorio del Estado劇場までイスラエルのダンス・グループ「LEV」の公演を観に行く。黒い全身タイツを着込んだ、奇妙な作品。時差と稽古の後のためか、半分ぐらい寝てしまう。
ホテルに戻り、バーボンを少し飲んで就寝。
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2014年10月14日
実に奇妙な夢を見る:
ドイツ・シュトゥットガルトの中華屋さんで食事をしていると突然警官が入って来て、身に覚えのない容疑で逮捕。即刻「死刑」を言い渡される。(おそらくシュトゥットガルト近郊の牧草地帯/アイヒェンハインかと思われるが、)牢獄は野外の牧草地に羊を囲むように柵を円形に施した、非常にゆるい監獄。野外で、広い牧草地に収監されているのは私一人だけ。そこに、私のオイリュトミー講座に参加されているIさんが「死刑囚への差し入れにはこれが一番なんだよ」などと言いながら、スルメやソーセージなどの酒のツマミみたいなものを持ってきた。
私は、日本では死刑宣告を受けると法的には6ヶ月以内に執行されなくてはならないが、宣告を受けてもその後何年、何十年も執行されずに収監され続ける現状を知り、そのような生殺しのような状況を喰らうのは勘弁してほしいと思い、看守から紙と鉛筆を借り、私の刑を即刻執行するように嘆願書を書いた。看守はそれを受け取ると、パソコンで正式な書面を作成し始めた。書面が完成し看守がプリント・アウトしようとすると、何度も試しても全く印刷されず、白紙が出てくるだけ。そうこうしていると今度は私の家の者が現れ、「お前(私のこと)のことだから早く刑を執行せよと嘆願書を書くだろうと思い、それを止めさせるために、刑の執行を中止するような嘆願書を持ってきたぞ」と言ってきた。
夢はここで終わった。
あまりにも印象に残った夢だったので、忘れる前にメモをしておいた。

朝7時に起床。ホテルの朝食を食べる。トースト、ハムエッグ、コーヒー。
午前中はホテル近くのコンビニ「OXXO」で部屋飲み用のビールをテキーラ、ミネラル・ウォーター、お菓子を買う。
13時に向かいの別のホテルで昼食のメキシコ料理のバイキング。
車が飛ばしまくる広い道路を集団で渡る。車が信号待ちの間、大道芸人たちが車の前でジャグリングやフワループなどの芸を見せて、ドライバーから小銭を稼いでいる。Akiraさん、「信号待ち大道芸人」に100ペソ(800円~900円程度)手渡す。これは彼らが一日で稼ぐ大体の金額。もらった芸人、さっさと道具を片付けて、本日の仕事終了。
バイキングでは牛肉の炒め物、鶏肉の炒め物、白身魚のフライ。あまりにも美味そうだったので、魚料理禁止(私が個人的に私に課していた)を破り、思わず食べてしまった。どの料理も大変美味しい。赤いハイビスカスのお茶は初めて飲んだが、食べ過ぎた胃をさっぱりにしてくれて、大変よろしい。
スクールバスみたいな車に乗り込んで、稽古場へ(15時~18時)前半はオイリュトミー、後半はダンスの稽古の2部構成で進める。ダンスでは第2と第4楽章を通す。
ホテルに戻り、Hiroko、kentaroと私の3人で隣のグリル・レストラン「Applebees」へ食事。ここは渡航前に確認していたレストランで、一度は行こうと決めていた。Hirokoはパスタ料理、kentaro、私はサーロインステーキ。美味かった。
ホテルに戻り、女子ダンサー4人組の部屋で飲み会。ウィスキーを一本空ける。
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2014年10月15日
よく眠り、午前11時に起床。すぐに昼食に。ササモトさんが発注したメキシコ料理の弁当。
鶏肉の炒め&豚肉の炒め物とライス。
発注していた照明器具一式が届いていないことが判明。運搬ルートであるハイウェイでタンクローリが横転し、丸一日道路が封鎖されてしまったらしい。
そのため舞台上では予定されていた照明の吊り込みとシューティングの作業が全く進まず。
14時半~17時リハーサル。通しを1回行う。その後、劇場下見へ。
上下(かみしも)のルート・チェック(奈落を通る)、出ハケの確認。特に上下のルートは複雑で、不安が残る。裸足では移動できないので、公演中、履物を用意して移動することに。
一時間ほど舞台で場当たり。
夜になっても照明機材届かず。
ホテルへのバスの中で夕食のサンドを食べる。フランスパンにビーフ・アボカドを挟んだもので、大変美味しい。
ホテルに戻り、tera部屋で飲み(テキーラ)
照明のMorishitaさん、舞監のラングさん、コーディネーターのササモトさん、劇場に残り、朝まで完全徹夜。深夜に個別に少しずつ機材が届く。
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2014年10月16日
午前中はOXXOで買い物(ビール)11:45に劇場に向かうため一旦ロビーに集合するも、照明のつりこみが終わっておらず解散。ホテルで待機。部屋の同居人、部屋で裁縫を始めるも、縫い針をカーペットの床に落とし紛失。必死になって探し出す。「縫い物はロビーでやれ!」と怒鳴りつけると喧嘩勃発。
子供の頃、私は縫い針をカーペットに落とし、弟に大怪我を負わせてしまったことがある。弟が裸足で踏んだ針は骨にまで達していた。
ロビーでその話を弟から聞いた同居人は、昼食のピザを持って戻ってきた。
その後、仲直りの印に外にコーヒーを飲みに出かける。
2時間ほど昼寝をし、17:30に再び劇場に向かうためにロビーに再集合。
移動のバスから警察の特殊部隊の車両を目撃。車両の荷台には機関銃を携えた団員が数名乗っかており、メキシコの治安の悪さを連想させた。
劇場に着いて、まず夕食。バイキング形式で肉料理をいただく(牛肉・鶏肉)美味い。
本来、この日の夜はメディア向けのゲネプロを予定していたが、夜になっても照明設営が終わらず、ゲネプロは中止。劇場のロビーで稽古を行う。ロビーの窓から見える風景、まさに絶景。かつてこの地域では魔女裁判が行われ、外に見える岩山では大勢の人が生き埋めにあったそうである。その遺体は、この地域の土壌に含む銀成分のため腐敗せず、ミイラとなって残っているとのこと。グアナファトには有名なミイラ博物館もある(残念ながら見ることはできなかったが)
ようやく夜中の11時から小1時間ほど、舞台に上がることができ、出ハケのチェック。
ホテルに戻り、テキーラを飲む。

2014年10月17日
いよいよ舞台でのゲネプロを一回も行わず本番初日を迎える。
朝9時半にホテルを出発、劇場へ。
午前中は2時間ほど劇場のロビーでストレッチ。12時に昼食(サンドウィッチ)
12時半に地元のラジオがAkiraさんにインタビュー。取材はドイツ語で行うとのことだったので、通訳を頼まれる。行ってみるとインタビューは英語で行うとのことで、急遽ドイツ語脳からイングリッシュ脳に切り替えて通訳をこなす。
お昼過ぎにようやく照明のシューティングが終わり、13時半から色作りがスタート。本番直前までかかり、メキシコにおけるハヤサスラヒメは文字通り「ぶっつけ本番」で公演が開演された。公演はテレビ収録され、後日、放送される(メキシコで)
初日は終演後、アフタートークが設定されており、観客から舞踏についてはもちろん、オイリュトミーやシュタイナーに関する質問が多数寄せられた。「真面目な質問が多かった」とはAkiraさんの弁。
23時にホテルに戻る。出演者・スタッフ全員で初日の乾杯をホテルの食堂で。夜中の1時頃部屋に引き上げるも、同居人としょうもない原因で喧嘩勃発。部屋に掛かっていた額縁の絵画は崩れ、エアコンも壊れる。
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2014年10月18日
本番2日目。
朝9時起床、シャワーと洗濯。トイレが詰まり、汚物がバスルームに散乱。ホテルの人を呼び、トイレ、ついでに夜中に壊したエアコンを直してもらう。
トイレとエアコンは直るも、昨夜の喧嘩を反省し食堂にて一人で日記をつける。喧嘩はどちらが悪い/正しいという類でもなく、しかし相手が傷ついたことだけは確かなので、何とか滞在中に時間を見つけて、その傷を癒さねばならない。
昨日の初日の公演記事が新聞に載る。
12時15分ロビー集合、劇場へ。
昼食は3日前に劇場からホテルへのバスの中で食べた、同じフランスパンにビーフ・アボカドを挟んだサンド。これは本当に美味しい。にんにく風味のソースをつけて食べるとなおよろしい。
14時からテクニカル・リハーサル。テク・リハの最後の最後で、第二サスペンション(舞台の上方につりこんだ照明のバトン)の暗転が効かないトラブル。本番ギリギリまで、照明機材の配線チェック。
2日目の本番は、(私の感じでは)初日よりも全体のテンションが高かった。心配された本番中の照明のトラブルもなく、無事に幕を閉じる。
ホテルに戻り、サローンで飲み。コーディネーターのササモトさん、大のJEFF BECKファンで、大いにロック話で盛り上がる。その後、場所をtera部屋に移し、夜中までテキーラ。

2014年10月19日
10時にバスでグアナファト旧市街観光へ。班に分かれ、班単位で行動。ケーブルカーに乗り込み、高台から町全体を望む。その後、ショッピングを楽しむため、待ち合わせの時間を決めて、班を解散。これが今回、私にとっての最大のピンチとなった。始めの内は、自由にお土産屋さんを見て回っていたが、時々すれ違う他の班は、ちゃんと班単位で行動している模様。街合わせの時間を決めたとはいえ、時間通りに班のメンバーが現れなかったらどうしよう?班の解体を言い出したのは班長である私だし、何か班のメンバーにトラブルがあったら、その責任は班を解散させた私にある。
そんなことを考えだしたら、いてもたってもいられず、買い物を楽しむどころではない。一刻も早く街中から班のメンバーを探し出し、再び班を構築する以外に方法はない。
しかし結局、解散させた班のメンバーとは街中で遭遇することは出来ず、待ち合わせ場所で時間通りに班のメンバーが戻ってくるのを今か今かと待つことにした。
しかし不安は的中、約束の時間(13:10)になっても誰も現れず、ようやく10分過ぎてポツリポツリと班のメンバーが現れだした。私の心配をよそに、みんな楽しそうな表情をしている。遅刻したことを怒鳴りつけてやろうと思ったが、もともと班の解体という行動に出たのは私なので、グッと堪えた。何より、なんのトラブルもなく、再集結出来てほっとした。
お昼は公演全体の打ち上げを兼ねて、旧市街のメキシコ料理レストラン。
ここでは今まで飲んだ中ではベストと呼んでもよかろうマルガリータを飲んだ。
前菜はアンチョペパローニ(唐辛子のパスタ詰)、テキーラ風味のエビスープ、メインは肉か魚が選べて、私はゴマをまぶしたマグロ・ステーキを選んだ。
肉を選んだ人は、豚のもも肉ソースかけで、その大きさには唖然。一人分が1.5リットルのペットボトルぐらいの大きな骨付きのもも肉である(ドイツ料理のアイスバインに似ている)
ところでグアナファトの街を歩いていると、公演を観たという人がたくさん話しかけてくれた。写真を一緒に撮らせてほしいという人も。2日間の公演で3千人の人が舞台を観てくれた。
旧市街散策中、一昨日の喧嘩相手の同居人とゆっくり時間がとれた。お互いの仲直りの確認をし、記念にお土産を交換する(私は赤と青のカバンを贈った。メキシコらしいカラフルなやつ)
16時にホテルに戻り、17時にチェックアウト、メキシコ・シティまで5時間のバスの旅。
22時に初日と同じホテルに到着、今回は2409号の24階の部屋。
すぐにホテルのバイキングに向かい、ステーキを3枚、あと初日には我慢していたシーフード料理(エビのグリル)を満足いくまで食べる。
24階からの夜の街の絶景を楽しみながら、部屋でテキーラ。
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2014年10月20日
朝10時にチャーターしたバスでテオティフアカン遺跡へ。
月のピラミッド、太陽のピラミッド、死者たちの道を巡る。太陽信仰をもった民の遺跡と聞くが、私的には太陽信仰ではなく、月の信仰ではないか?と感じた。太陽、月の両方のピラミッドを登ったが、月のピラミッドの方が建造物としても、そして建てられた位置としても、そう思わせる感じがした。
遺跡に着いた時、雨が降っていたが、ひとたび雨が上がり日が差すと、濡れた大地から水が蒸発していく様子がよくわかる。これが何とも神秘的な雰囲気で、大地から蒸気が上がっていくのがはっきり見えるのである。
午後の三時にホテルに戻り、遅めの昼食。
ところでインターネットによるとメキシコは現在、紛争地域を除くと最も危険な国であるらしい。今回のツアー中、それを思わせるようなトラブルや雰囲気はほとんどなかったが、
同じテーブルで食事をとったハヤサスラヒメの舞台監督/ラングさんによると、彼は今回、深夜タクシーで劇場からホテルに戻る際立ち寄ったコンビニ(日中、我々もよく利用していた同じ店舗)では、車からお店に入るまでの間、ラングさんを囲むようにマシンガンを持ったボディーガードが左右前後を固め、襲撃に備えたとのこと。グアナファトで開催されるセルバンティーノ国際演劇祭は国をあげての大イベントで、そこに参加するアーティストやスタッフに万が一のことがあったら、国際的な問題に発展する可能性もあるらしい。
そういった意味で、今回のメキシコ滞在は全期間、不安なく過ごせたが、これもフェスティヴァルを運営している人たち、そしてコーディネーターのササモトさんの我々の知らないところまで気を配る、サポートによるところが大変大きい。
本当に有難うございます!
20日深夜23:55発のアエロメヒコAM058便で成田へ。
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ドイツ・イタリア・ツアー日記/14年5月

5月5日(月)
朝10時半・成田発のKLMでアムステルダムまで12時間のフライト。総勢14名のツアー・クルー。現地時間午後3時頃到着。乗り継ぎのシュツットガルト行きの便まで6時間の待ち時間。空港内のソファーで仮眠。シュツットガルトにようやく着いたのは夜10時過ぎ。オイリュトメウム校長のミヒャエル・レーバーさんと現在4年生に在学中のモーリッツが迎えに来てくれる。レーバーさんの車とモーリッツが運転するバンの二手に分かれて全員ホテルへ。11時過ぎにホテルに到着するも、日本から直接電話で予約を入れていた筈の予約が取れていないとフロントでいわれる。さらに今から14名分もの部屋を確保するのは出来ないとまでいわれる。そんな筈はないと交渉するも、聞く耳持たず。そこで、電話で予約を入れた後にメールで送られた予約の確定書を差し出すと、フロントは焦った様子でホテルの支配人に電話している模様。フロントで一時間近く待たされたあげく、ようやく14名分の部屋を確保。電話で予約をした後、ペーパーベースの確定書を取り交わしておいたのが幸わいした。電話で予約を受けたホテル側の従業員がこの春に退職したとのことで、その引き継ぎ連絡がいっていなかったようだと、ホテル側は弁明。とにかく無事に部屋に落ち着いて、一安心。ベットに入ったのは夜中の2時近く。

5月6日(火)
朝7時頃目が覚める。ホテルで朝食を済まし、一人で私のかつての母校・オイリュトメウム・シュツットガルトまで行ってみる。私はここで1993年から1997年の4年間学び、卒業した。久々の母校に着くと、すでに授業が始まっているようで、玄関や廊下やがらんとしていた。稽古場から漏れる音楽オイリュトミーの授業のピアノの音が、懐かしく感じた。適当に構内をぶらついていると、1〜2年前に学校を卒業し、現在舞台グループに在籍しているという若い女性の日本人オイリュトミストに会った。「日本から公演にやって来た笠井禮示です」と挨拶をすると、「あー、この週末に公演をなさる日本からのグループの方ですか!ところでここでは『卒業公演』をなさるのですか?」といわれる。「いえ、私はこの学校を17年前にもう卒業しました」と伝えると、きょとんとしていた。週間予定が掲示してあるコーナーに行くと、我々のリハーサル時間とスタジオが掲示されていた。初日の今日は夕方からリハーサルの開始予定となっていた。そして明日から本番初日までは朝から全日、リハーサルが出来る予定になっている。夕方から始まった初日のリハーサルは、舞台上での出ハケの確認を中心に行なわれた。会場となるオイリュトメウムの舞台は、今まで日本で行なって来た舞台とは違い、幅はそれほど広くなく、その代わり奥行きが長かった。出ハケ口も上下(舞台の左右)に3つずつある。時差ボケのせいか、動きにまったく力が入らず、早めにリハを切り上げてホテルに戻る。部屋で兄と弟とビールを飲み、就寝。

5月7日(水)
午後3時から広いスタジオUでリハ開始。学生時代以来、17年振りにこのスタジオで動く。床を舞台の大きさの原寸大に区切って言葉の作品を最初から通す。時差ボケも前日より良くなり、動きも安定してきた。夜はリハ会場を舞台に移し、全体の通し。縦長の舞台のため、作品のいくつかの箇所を修正しながら進める。夜は学生時代通っていたスペイン居酒屋で魚料理とワイン。気分が良くなり、2件目ではシュツットガルトでは初のジャック・ダニエル・オン・ザ・ロック。実はドイツ留学中は、私はもっぱらビールとワインで、バーボンはやっていなかった。バーボンを飲むようになったのは、日本に帰って来てからだ。

5月8日(木)
朝9時から舞台の照明つくり。オイリュトメウム専属の照明家のバスティアンと久々の対面。叡さんの指示を彼に通訳をしながら、進める。基本的にワン・シーン・ワン・キュー(一場面ひとつの照明パターン)だが、冒頭のショスタコヴィッチだけは細かい照明変化が入った(18キュー)バステイアンは照明切り替えの箇所を直接楽譜に書き入れる。さすがにオイリュトミーの照明に慣れているようで、細かいショスタコヴィッチの照明変化も、数回のテクリハでクリア。昼食はオイリュトメウムの先生であるクリスタ・マリア・シュミットの家に招待された。我々一家とレーバーさんも同席。サーモンのオーブン焼、シュバーベン地方の郷土料理であるポテトサラダ(私がリクエストした)、デザートには手作りプリン。美味しかった。午後はスタジオUにてリハーサル。明日の本番に向けての最終調整。夜は兄が我々兄弟と両親をドイツ・レストランに招待してくれた。皆は郷土料理のコースみたいなものを頼んだが、私と叡さんはビーフ・ステーキを注文。コースを頼んだ人は、その量の多さに圧倒。多くを残してギブアップ。一家揃ってドイツで外食するのは30数年振り。夕飯後、私は皆と別れて、かつてお世話になった日本食レストラン「貴張」に顔出し・挨拶。支配人の鈴木さん、閉店後の突然の訪問にも関わらず、暖かく迎え入れてくださり、17年振りにビールを飲み交わす。私は学生時代、ここの日本人従業員にドイツ語を教える代わりに、タダ飯を食わせてもらっていた。夜中の1時頃まで飲み、タクシーでホテルに戻る。

5月9日(金)
本番初日。劇場入りは午後からなので、午前中は本屋までシュタイナーのオイリュトミー・フォルメンの本と、オイリュトミー・フィギュアのカード全集を買いに出かける。店にあった最後の在庫をゲット出来てラッキーであった。その足で直接会場入り。照明つくりの続きをやり、テクリハを兼ねた通し稽古。午後の5時に一旦全ての作業を終えて、夜8時の開演まで各々自由に休む。初日の公演はレーバーさんの観客への挨拶から始まった:「皆様ようこそお越し下さいました。今晩、皆様に御覧頂くオイリュトミー・グループは、日本からやってきました。このグループの芸術監督である笠井叡は1979年に日本人としては初めてオイリュトメウムに留学し学びました。当時、小さな子ども三人を含めた一家全員でこちらに移住されましたが、この時代は、日本人はまだまだ珍しく、笠井一家がシュツットガルトに到着したときには、我々にとっては珍しいオリエンタルな香りが漂っていました。彼の息子・笠井禮示も後のこの学校を卒業し日本で活動を開始し、また1998年と2001年の日本ツアーでは、専属通訳としてツアーに同行してくれました。今回、長い時間の経過の後、笠井叡が率いる、このグループのオイリュトミー公演をこの会場で開催出来る事を大変嬉しく思っています。作品のテーマは、シュタイナーの黒板絵を使用した講演録からのテキストを中心に構成されています。グループはこの作品を昨年から今年にかけて、日本の数カ所で公演を日本語で行ないました。そして今夜は、この公演ために日本語で創った作品を全てドイツ語に覚え直して、上演いたします。どうぞ最後まで、ごゆっくり、お楽しみ下さい」終演後、20数年振りに、シュタイナー学校の同級生であったフローリアンとフィリップと町に繰り出し、再会の祝杯を挙げた。

5月10日(土)
公演2日目。午前中は再び本屋へ寄り、注文していた本を受け取りに行く。町に出て、「ウード・スナック」で昼食。ここは知る人ぞ知る、シュツットガルトで一番美味いハンバーガーが食べられるお店。私は普段、本番前にハンバーガーを食べるということは絶対にしないが、シュツットガルト滞在中、ここだけは外せないスポットだったので、強行突破。結果、行ってよかった。二日目の本番もレーバーさんの挨拶から始まった:「皆様、ようこそお越し下さいました。昨日に引き続き、今日は日本からのオイリュトミー・グループの公演の2日目です。彼らが昨夜の初日にみせたオイリュトミーはドイツにはない、日本の大地らしい、火山に力に満ちあふれた、大変エネルギッシュな舞台でした。と同時に、ヨーロッパでは、今日ほとんどみる事の出来ない、オイリュトミーへの真剣さと集中力に満ちたものでした。彼らにとってドイツ語を覚え、それを舞台作品化することは、大変な労力を必要とするものと想像出来ます。箇所によっては、我々ドイツ人にとって、おかしく聴こえる発音等もあるのですが、彼らの真剣さは、そのおかしさを感じさせる事のないぐらい、集中したものです。また今回のツアーは、人智学の協会、あるいはその関係機関ではない機関からの助成金の援助を得て実現したものということも、併せてお伝えしたいと思います」レーバーさんが今回の公演ツアーの助成金(我々日本側が申請、採択された)の出資もとについてお話したのには訳があった。ドイツのオイリュトミー活動は、主として人智学の協会内の中で行われることがほとんどで、助成金もその関係機関から出るものがほとんどで、むしろ一般のある法的機関はオイリュトミー活動を援助することは滅多にない(それは協会内の活動に終始する傾向があるため)一方、日本におけるオイリュオミー活動は、ドイツに比べて遥かに一般的な社会性をもった活動として受け入れられている。そのため、一般の機関から助成金援助を受けた本活動は、オイリュトミーと一般社会との関係性という意味でも、大きな意味をもつ。

5月11日(日)
イタリア・ローマへの移動日。朝8時にホテルに迎えに来る筈のバンが故障し、レーバーさんが大慌てでタクシーを4台呼び、飛行場へ。慌ただしくチェクインを済ませ、出国ゲートでレーバーさん、モーリッツとお別れの挨拶。シュツットガルトからパリに飛び、パリで約2時間半のトランジット待ち。午後の4時にローマの空港に到着。後は預けたスーツケースを受け取り、入国ゲートを通るだけ・・・。預けた荷物が受け取りレーンに上がって来た。出演者、家族がさっさと届いた自分の荷物を受け取って行く。「さあ、皆さん、荷物は全員無事に受け取りましたか?ではイタリアに入国しますよ?」オイオイオイ、私と叡さんスーツケースがまだ出て来ていない・・・。やがて我々二人のスーツケースを乗せる事なく、荷物を運び届けるレーンは空回りを始め、やがて止まった・・・。「ガーンッ!!!」人生初のロスト・バゲッジってやつかぁ?しかも私と叡さんのダブルパンチ同時にかい?カスタマーセンターに詰め寄り、事情を聞くと「ミスター・アキラ・カサイの荷物は次の便でパリからローマに運ばれます。ですから後40〜50分で到着します。お待ちになられてもよいですし、滞在先の住所を頂けたら、そちらに配送します。ミスター・リッチー・カサイ(レイジと発音出来ない)の荷物は追跡しましたが、行方不明です。とりあえず、滞在先の住所を教えてください。見つかり次第、届けます」というと、タオルと歯磨きセット、石けん、ひげ剃りセットの入った安っぽいビニールポーチを渡して来た。いくら文句を言っても、それ以上ラチが上がらなかった。そういえば、パリ発ローマ行きと同じ時間でパリ発マイアミ行きという便があったなぁ。もしかしたら今頃私のスーツケースはマイアミ行きの機内の中かも、などと想像しながら、係員に私のスーツケースの特徴・色を伝えた「今回の旅行のために新しく購入したおニューなやつで、色は黒。目印にストーンズのベロマークのシールが中央に貼ってあるやつです」それだけ伝えて私はショルダーバックひとつでローマ入りした。スーツケースの中には、私のオイリュトミー・クライト3着とシュライヤー3着と稽古クライト、ドイツで買ったシュタイナーのフォルメンの本、滞在中の衣類、舞台メイク道具、お土産、すべてが詰まっていた。所在が明らかになっている叡さんの荷物に比べて、「行方不明」という言葉が不安な気持ちを倍増させた。宿にチェックインして、気持ちを落ち着かせるためにビールを3本空けた。さらに夕飯に、ビーフ・ステーキを平らげ、体内に「幸せ物質」を分泌させて、夜は宿で兄・弟と深夜まで飲み。*幸せ物質:焼き肉・ステーキなどを食べると体内に分泌される。幸福物質ともいう。嫌なことがあったときに摂取・分泌させるとよい。

5月12日(月)
ローマ公演当日。本番まで大分時間があるので(夜8時半開演)、午前中は他のオイリュトミストたちと一緒に、大型スーパー「パノラマ」まで出かける。ちょっとしたお土産などは、観光地のお土産屋よりも、地元のスーパーで探したほうが面白いのである。集合時間を決めて、各々自由に店内を散策。パスタやオリーブオイル、小物などを買ったそうである。私はといえば・・・・、パンツ2丁と靴下2足。全てを失ったこの時分、とてもではないが、お土産などを選んでいる気分になれない。買い物を終え、昨夜訪れたレストランに昼食へ。ここでも「当然」、ビステカ・デ・マンツォ、つまりビーフ・ステーキを注文。イタリアに来ると無性に肉が食いたくなるのは、毎度のこと(数えてみたら、私は今までローマに10回訪れている)午後、迎えの車が宿へやって来て会場へ。町外れにある「ローマ第3大学/Roma Tre」が今夜の会場だ。大学の講義を行なう講堂の中に、後付のように設えた板張りの舞台。しかし雰囲気はとてもいい。会場に着くと叡さんのスーツケースが届いていた。私はいよいよ、衣装がない状態で本番を迎えることになってしまった。出ハケのチェックとサウンドチェックを済ませ、舞台を水拭き。今夜はまず6時半から8時過ぎまで叡さんのレクチャー。その後休憩を挟んで本番という流れ。レクチャーはダンスと言葉の関係性についての話:「多くのダンサーが『話すことよりも、話以上のことを動いてやりたい』と言っていることを私は知っていますが、ダンスが言葉を否定してしまっては、身体は決して深まりません。それは「言葉を否定したダンス」は・・・・・」レクチャーは大変集中した聴衆の前で2時間続いた。続いて本番。私は衣装がないので、クライトは瑞丈から、シュライヤー、ストッキングはなおかから、靴は裕子からと、全て借り物。舞台は冒頭からノリがよく、叡さんと私の掛け合いで進む「経済問題シーン」では、私はあらかじめ仕込んでおいたイタリア語で相槌を打った。このツアーに同行して、すべての公演を観てきた兄は、今晩のローマ公演が一番よかったと話していた。「禮示は最初から五速だったな」

5月13日(火)
フリータイム。ローマは初めてという裕子を連れて一日、街を案内。とりあえず地下鉄でバルベルリーニ駅まで出て、骸骨寺を見物。何千体もの人間の骨で創くられたアーチや壁細工、時折その間にミイラが見える。ここまで幾何学的に人間の骸骨がレイアウトされると、むしろ気味悪さという感じはなく、むしろバロックのGewaltigkeit/強烈さ、をまざまざと見せつけられている感じがしてくる。続いて、ローマの休日/オードリーで有名なスペイン階段を経由して、フェラガモ本店へ。ここに勤めているアキさんは私の友達。顔出しの挨拶。続いてパンテオン。中にも入れるローマ建築の中では、ここが一番のお気に入り。中にはベンチもあるので、足休めを。ルネッサンスの三大巨匠の内の一人、ラファエロ・サンツィオの棺も見える。数年前に、この棺にCTスキャンを施した際、確かに中には人間の遺体(ラファエロ)が確認されたそうである。パンテオン近くにあるというローマで一番の人気のジェラート屋「Giolitti」でジェラートを食べる。私はバニラとレモン。美味い。そのままフォロ・ロマーノの遺跡群を眺めながら、コロッセオへ。物乞い多し。いくつかの土産物屋を覗くも、結局何も買わず地下鉄で中央駅へ。駅周辺の食堂で昼食。ケーバップの皿プレートみたいなものを食べる。美味しいが、ソースが辛くて苦労する。一旦宿へ戻ると私のスーツケースが届いていた!おお、待ちわびたぜ、BABY!中を開けるとシャンプー・トリートメントの栓が潰れて、中がぐちゃぐちゃ。衣装や洋服はビニールにパックされていたので被害は被らなかったものの、スーツケースの裏地は見事にトリートメントされてしまった。拭いてもラチがあかないので、シャワーで丸洗い、ドライヤーで乾燥。それでも荷物が届き一安心。出来れば、本番前に戻ってほしかった。夜はイタリア公演の主催者マリア・ピア・ドラツィの家でパーティー。ピザとワインを鱈腹食べる。母声と父声、そして主として結びのウに関しての話で盛り上がる。私は個人的に、大きな収穫であった。特に結びのウに関する考察に関して。

5月14日(水)
この日はツアークルーの内の半分のオイリュトミストが帰国する日。彼らの宿泊する宿までお見送り(宿は2つに分かれていた)昼食はケーバップ。この日は宿で日記を付けたり、洗濯をしたりと、ゆっくり過ごす。夕方近くに叡さんのワークショップ会場まで見学に出かける。地下鉄を使わず、歩いて行こうとして大いに迷う。結局散々歩いた末、地下鉄で行くことに。オイリュトミーの基礎を教えるクラスだったが、毎回、叡さんのクラスを見学するたびに、新しい気付きがあるので勉強になる。夜は、ラザーニヤと赤ワイン。

5月15日(木)
兄、弟、裕子、なおか、私の五人でローマの海岸線へ出かける。朝から兄がPCで行き先をチェックしている。地下鉄B線でピラミッドまで行き、さらに電車を乗り継いでCHRISTOFFORO COLOMBOまで。駅を降りるとすぐに目の前は海岸線。とりあえずピザとビールを食べ、バスに乗り継ぎ(適当に乗ったのでどこ行きか知らない)、田舎の方へ。バス海岸線に沿って、飛ばしまくる。適当な駅で降りて、海岸を歩く。兄、歩きながら写真を撮る。それもテクテクと、テンポよく歩く。ウチらはのんびりダラダラ。次第にウチらと兄との距離が広がっていく。以前、兄が「写真は歩いて取らなくちゃ。近づくためには歩かなくちゃ。近づくため望遠レンズなんてダサいぜ」と教えてくれた。確かに、その自らの言葉を実践している様であった。レンズはズーム無しの35ミリひとつであった。私もファインダーを覗かせてもらったが、いいカメラだった。ほしい。一眼レフではなく、二眼レフという種類のカメラ。以前、私は一眼レフのカメラを持っていたが、弟にあげてしまっていた。街の中心に戻って、スパゲティ(アラビアータ)とワインを飲む。宿に戻って洗濯、シャワー、再び飲み。なおかが買ってきたテイクアウトの中華(チャーハン&焼きそば)をつまみに深夜まで。

5月16日(金)
母と二人で宿の近くの中華で昼食。春巻、ワンタンスープ、広東風チャーハン、焼そばを注文。割合に美味しく、満足する。特に久しぶりの汁物(ワンタンスープ)は嬉しかった。地下鉄でスペイン広場に出て、兄、弟、なおか、裕子と合流。今日は、母はショッピングを楽しむとのこと。このメンツで外に繰り出すのは、人生初。お土産にフェラガモでスカーフを購入。コルソ通りの眼鏡屋でヨーロッパ・ツアーの記念に我々兄弟にサングラスをプレゼントしてくれた。私は裕子のバックを購入。イタリアらしい赤。近くのバールで一休み。ビールを飲む。その後タクシーで叡さんのワークショップ会場へ。ちょうど終わる頃に到着、スタジオに入ると黒板に父声の説明が書かれていた。今日は、私・弟・なおか・裕子で、両親と兄をイタリアンの夕食に招待する予定。叡さんお気に入りのレストラン「スパッカ・ナポリ」へ。マリア・ピア、絹子さん(イタリア在住の友人)も合流。前菜にタコのマリネ、サーモン、野菜、イカの揚げ物。メインは各々好きなものを注文。叡さんは魚介類のパスタ・その名も「スカッパ・ナポリ」、他の人も銘々お気に入りのパスタを注文。私はいつものビステカ・ディ・マンツォ。ワインは叡さんがチョイスしたシチリア・ワイン。帰りはタクシーで帰る組と地下鉄組に分かれて宿へ。私、兄、裕子は地下鉄で。宿近くのピアッツァ・ボローニャ、金曜の夜らしく外飲みの人でごった返している。我々も瓶ビールを購入し、外飲みをしばし満喫。葉っぱの匂いの微かにする、ローマらしい騒がしい夜。



5月17日(土)
裕子と地下鉄・バスの一日乗り放題(こっちの方が割安)の券を買って、街へ。計画としては、可能な限り徒歩をしないでどこまで名所をまわれるか、というもの。宿の前のバス停から、一気にヴァティカンのサン・ピエトロ寺院へ。並ばず、以外とすんなり寺院内へ入れた。入ってすぐ右手に、あのミケランジェロの「ピエタ」がある。昔は近くから観えたが、今はガラス越しからしか観れない。それにしてもこの寺院はデカいし、贅の限りを尽くした感のある建築物。莫大な費用をつぎ込んで、非日常的な空間を徹底的に演出することによって、入る者をひれ負させ、教会(宗教)の絶対的権力をこれでもか、と見せつけるような権威的な建造物。自然の中に調和してひっそりとたたずむ日本の神社で感じられるような「霊性」はまったく感じない。ヴァティカンを後にして、再びバスで移動。ヴェネチア広場の少し先にある「猫サンクチュアリ」を見学。ここは野良猫、病気の猫、けがをした猫を引き取り、面倒みている、猫の保護センター。里親募集も行なっており、海外からも猫の引き取り手の応募があるという。実は3年前、私は仲間のテラと一緒にここを一度訪れている。センター長の女性は以前、フライト・アテンダントをやっていたことがあり、日本には何度も訪れていると話していた。今回、3年振りに訪れたら、私のことを覚えていてくれた。運営は、グッツの売り上げでまかなっており、詳しいことは分からないが、職員はほとんどボランティアなのだろう。私はTシャツを購入。お次ぎはピアッツァ・ヴェネチアからバスに乗り、テアトロ・マルチェッロを経由して「真実の口」へ。スペイン階段もそうだが、オードリー・ヘップバーンに纏わる場所には観光客がやたらと多い。早々と撤収。再びバスに乗り込み、ピアッツァ・バルベルリーニへ。ピザスタンドで昼食。広場に隣接している国立古典絵画館(バルベルリーニ宮)を見学。ここは数あるローマの美術館の中でも、一番お気に入り。観客も少なく、静かで落ち着いて館内を見て回れる。とはいえ、所蔵している絵画コレクッションは目を見張るものがある。カラヴァッジョ、ラファエッロ、フィリッポ・リッピなどの手による隠れた名作が間近で観られる。スタンダールの「イタリア年代記」に登場する、階段の踊り場の壁面に彫られたライオン像は、ここにいる(しかも触れる!)スタンダールはもちろん、シェリーやアントナン・アルトー、コラード・リッチなどの作家の創造心を焚き付けた名画グイド・レーニ作「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」はここにある。美術館を出て再びバスでコルソ通りへ。パンテオン近くのジェラート屋「ジオレッティ」でジェラートを食べる(メロンとイチゴ)バスで一旦テルミニ駅(中央駅)に戻り、最後はメトロ(地下鉄)で宿のあるボローニャ広場へ(本当は全編バスで回りたかった。最後の最後で地下鉄を利用したのは残念)宿の近くのバールでビール、夜は宿で深夜まで飲み。今回、一日乗車券と市営バスを駆使すれば、歩き回らずローマの観光が出来ることを発見。地下鉄と違い、バスの窓からの景色も楽しめる。しかしスリの多い悪名高いローマのバス。乗車する際には注意が必要である。基本的にはアクセサリーは身につけず、ショルダーバックや腰に巻き付けるポーチもNG。手ぶらでお金はその日に使う最低金額をズボンのポケットに入れて行動。以前、元天使館の仲間がローマに行った際、着いた初日にバスで手持ちの現金全額、カード、パスポートを盗られた被害にあっている。カードの停止手続き、パスポートの再申請手続きなどで、大変苦労したことがある。用心が必要な周遊でもある。

5月18日(日)
ローマ最終日。お昼はいつもの中華で、叡さん、瑞丈、爾示は豚肉の辛味炒め、裕子はカレーチャーハン、久子さんもチャーハン、なおかは鶏肉のレモン風味炒め、私は海老チリ。叡さんは追加でチャーハンも注文。ボローニャ広場の近くにあるこの店は割合にうまい。午後は近所を練り歩き、お土産を探す。夜はマリア・ピアの家に招待されていたので、地下鉄とバスを乗り継いで向かうも、反対行きのバスに間違って乗車。仕方なく途中で降り、そこから歩いて向かうことに。ティブルティーナ通りをひたすらピア宅へ向かって歩く。観光地ではない、生活感溢れるここの界隈を写真家の兄は気に入り、写真を撮って回る。約束の時間を1時間遅刻してようやく到着。ピア宅では叡さんがローマ第3大学(今回のローマでの公演会場)のレイモンド教授からインタビューを受けていた。レイモンドはヨーロッパの舞台演劇の専門家。サマンタの旦那のアルベルトの作ったスペイン料理の前菜・オムレツ、生ハムをつまみにワインを飲みながら、永遠と続くインタビューの終わるのを待つ。ようやくインタビューが終わり、宴会スタート。メインはスパゲッティ・アラ・ヴォンゴレ(あさりのパスタ)これもアルベルトの作。彼はスペイン人で、料理がうまい。3年前のトゥスカーニアでも、あさりのパスタをご馳走になった。レイモンド、舞台におけるコロスの意味・重要性について語る。帰りはアルベルトの車で宿へ。宿でローマ最後の部屋飲みスタート。珍しくギタリスト話で盛り上がる。私は腕のいいギタリストの中で、一番のギターソロ名演として「alchemy live」におけるマーク・ノップラー(ダイヤー・ストレイツ)の「悲しきサルタン」をあげるが、この意見には兄も同調したようだった。ワインを2本空け、終了。

5月19日(月)
帰国する日。慌ただしく荷物まとめ。宿に車が12時に迎えに来る予定なので、その前にケーバップを食べに出かける。15:30のアリタリアで成田へ。機内でジョニー・デップの何とかという映画を観る。鑑賞後、すぐに眠ってしまい、次起きた時には飛行機は韓国上空を過ぎ日本海を渡っているところだった。12時間のフライトはほとんど眠って過ごせたので、長く感じなかった(機内でジンのストレートを飲んだためか?)成田からバスで吉祥寺へ。中央線で無事、国分寺に着。すぐに南口のラーメン屋に入った。日付は5月20日にかわっていた。

オイリュトミー・ギャラリー5

reiji kasai in [笠井叡・血は特別のジュースだ] photo:shimizu toshihiro
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オイリュトミー・ギャラリー4 [オイリュトミー]

La Cattedrlae Inghiottita / 笠井禮示・寺崎礁オイリュトミー・ドュオ公演
2011年 Tuscania/Italia *photo: Daniele Vita

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reiji kasai napoli 2010 photo:alberto canu
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akira kasai eurythmie company and eliogabalo group on the stage at villa filippina palermo sicilia 2010
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[carmina burana] at villa filippina palermo sicilia 2010
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reiji kasai in [carmina burana] palermo sicilia 2010
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[carmina burana] in rome 2010
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reiji kasai in [carmina burana] rome 2010

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オイリュトミー・ギャラリー3 [オイリュトミー]

reiji kasai in [the art of fugue&eurythmie] august 2010 tokyo
photo:teijiro kamiyama
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reiji kasai in rome may2005 photo by alberto canu
陽物神譚(澁澤龍彦)
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ベートーヴェン・テンペスト第3楽章duo with akira kasai
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オイリュトミー・ギャラリー2 [オイリュトミー]

笠井禮示・ナポリ国立考古学博物館performance(AKIRA KASAI COMPANY)2009
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AKIRA KASAI dance,AKIRA KASAI COMPANY/ REIJI KASAI, SHO TERASAKI, MAKOTO SADAKATA,KENTARO KUJIRAI eurythmie
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笠井禮示ナポリ国立考古学博物館performance&workshop2009 (Akira Kasai Company Tour)    reiji kasai as ELIOGABALO①
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reiji kasai as ELIOGABALO②
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reiji kasai as ELIOGABALO③
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Vivaldi [La Foria]
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reiji kasai performs for the sculpture of ARETMIS EPHESUS
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reiji kasai eurythmie workshop at MUSEO ARCHEOLOGICO NAZIONALE NAPOLI
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